MIDI第2世代が音楽制作に革新をもたらす、日本発のデジタル規格が進化へ
パソコンを使った楽曲制作が主流となった現代の音楽シーンにおいて、世界中のミュージシャンに欠かせないデジタル規格が「MIDI(ミディ)」です。1980年代に日本主導で開発され、カラオケの普及にも大きく貢献したこの技術は、今や「第2世代」の登場でさらなる進化を遂げようとしており、音楽表現に新たな可能性をもたらすことが期待されています。
電子楽器の標準規格、日本が主導した開発の歴史
MIDIは、Musical Instrument Digital Interfaceの略語で、直訳すれば「電子楽器インターフェース」という意味になります。具体的には、音程やリズム、音の強弱などを数値化したデジタル演奏情報であり、パソコンに入力することで、ピアノやバイオリンなど様々な収録音源に演奏の指示を出せます。これは、パソコンで作曲する「デスクトップミュージック(DTM)」において、楽譜のような役割を果たしているのです。
MIDIが生まれたきっかけは、1970年代にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などの活躍でテクノ音楽が広まり始めた頃、シンセサイザーなどの電子楽器の規格がメーカーごとに異なっていたことでした。当時はメーカーが違う機材同士では演奏情報をやりとりできず、曲作りやライブ演奏が困難だったのです。
「電子楽器普及の障害になる」と共通規格の必要性を唱えたのが、当時創業10年ほどの楽器メーカー「ローランド」の社長、梯郁太郎さん(故人)でした。ローランドは規格作りに着手し、汎用性が普及のカギを握ると考え、本来際限のない音の強弱を127段階に区切るなど、データ量を抑える革新的な仕様を提案しました。
当時ヤマハは別の規格を作っていましたが、交渉の末、米国メーカーが選んだローランド方式を共通規格とすることに決定。1983年に誰もが使えるよう規格書を一般公開すると、各国メーカーも対応商品を次々と発売し、MIDIは「世界規格」として浸透していきました。ローランド社員として規格開発に携わった菊本忠男さん(84)は、「世界的メーカーのヤマハがローランド方式になっても普及に全力を尽くしてくれたのが大きかった」と振り返っています。梯さんは、MIDIへの貢献が評価され、2013年に米グラミー技術賞を受賞しました。
楽器が苦手でも作曲可能、MIDIがもたらした革命
森高千里さんらへの楽曲をパソコンで作ってきた音楽プロデューサー、tofubeatsさん(35)は、「MIDIを使わない日はない。自分の想像力はMIDIのパラメーターがベースになっている」とその存在の大きさを語ります。MIDIは、楽器が弾けなくても、パソコンとつなげば作曲ができるという「革命」を起こす礎となったのです。
画面左に縦向きのピアノ鍵盤が置かれ、黒いマス目が並ぶインターフェースでは、マウスでクリックしてマス目を塗っていくことで、視覚的に音階とリズムを入力できます。こうした「打ち込み」の音と、ピアノなどの演奏を録音した「オーディオファイル」を組み合わせることも可能で、多様な音楽制作を支えています。
カラオケからボーカロイドまで、MIDIの幅広い応用
MIDI情報は、オーディオファイルのように音そのものを含まないため、100分の1以下のデータ量でやりとりできる特徴があります。この特性を生かして発展したのがカラオケです。音源がレーザーディスクなどの記録媒体だった時代から、1992年に登場した通信カラオケはMIDIを使うことで、インターネット普及前の電話回線でもやりとりが可能になり、新曲をすぐに歌えるようになりました。
さらに、携帯電話の着信時に好きな曲を流す「着信メロディー」や、キャラクターに歌わせる「ボーカロイド」にもMIDIが活用されています。こうした応用は、MIDIが音楽産業の基盤として重要な役割を果たしていることを示しています。
第2世代MIDI 2.0で表現力が格段に向上
2020年には次世代型「MIDI 2.0」の公開が始まり、音の強弱は最大で6万5000段階と格段に向上しました。これにより、より細やかで豊かな表現が可能となり、想像を超える音楽創作への期待が高まっています。MIDIは40年以上にわたり、音楽制作の根幹を担い続けており、その進化は今後も音楽シーンに大きな影響を与えるでしょう。
楽器の街・浜松とMIDIの深い関わり
ローランドやヤマハ、グランドピアノで世界的にファンの多い河合楽器製作所、鍵盤ハーモニカ「メロディオン」を製造する鈴木楽器製作所など、多くの楽器メーカーが集中しているのが浜松市です。大阪発祥のローランドは2005年に研究・開発部門などを置いていた浜松市に本社を移しました。2015年時点の市の集計では、部品製造や修理業者も含めると関連企業は200社以上にのぼります。
ヤマハの創業者・山葉寅楠が、1887年頃にオルガンを作ったのが、日本の楽器製造業の幕開けとされています。和歌山出身の寅楠が楽器に関心を持ったきっかけは、医療機器の修理で訪れた浜松で米国製オルガンの修理を頼まれたことだったと言われています。
寅楠が1906年、木工が盛んなこの地域に楽器の組み立てや調律の技術者を養成する見習い制度を設けると、大勢の職人が巣立ち、産業振興を支えました。東京と大阪の間にあって物流の便が良く、晴天の多い温暖な気候も楽器作りに向いていたのです。
浜松市は1981年から「音楽のまちづくり」を掲げ、ピアノやオペラの国際コンクールを開催しています。日本で唯一楽器に特化した公立博物館もあり、アジアや欧州、アフリカなどの楽器約3300点を所蔵しており、MIDIを支える技術的基盤を築いています。



