高田漣が語る東京・吉祥寺の思い出と猫、父と母の記憶
高田漣が語る吉祥寺の思い出と猫、父と母の記憶

吉祥寺界隈を離れてからもう四半世紀以上が過ぎたが、いまだにその地に関係した仕事の依頼があることは不思議であり、ありがたいことである。思い返せば、映画作品では「タカダワタル的」や小泉今日子主演の「グーグーだって猫である」、テレビドラマでは宮沢りえ主演の同作全2作など、吉祥寺の街に音をつける作業は楽しくもあり、多くの発見があった。

映像に映り込む些末なもの

映像の後景に、図らずも映り込んだような些末なものこそ、時代の重要な要素が隠されているという、いとうせいこうさんの卓見がある。まさに変わりゆく街の一端を見つめるようで、感慨深いものがある。

作品の共通項:猫

これらの作品には別の共通項が存在する。それは猫である。それまでは犬を飼っていた父だが、最晩年は家に寄り付いた猫をそのまま飼うようになった。父と母は私が幼い頃に離婚したが、母もどういったわけかある時期から猫を飼い始めた。それは母がまだ私が育った三鷹台のアパートに住んでいた時期からだった。私が子供の頃に公園で捨てられていた子猫を拾ってきた時には、借家だから飼えないと固く拒絶したことなど忘れたかのように。

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母の死と残された記憶

そんな母は猫たちを見送った後、昨年亡くなった。街は変わっていくけれど、思い出は残存する。私はそんな記憶の彼方にあるような景色や瞬間を小説として残し、母にプレゼントするつもりだったが、ほんの少し遅かったようだ。

(マルチ弦楽器奏者・執筆家)

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