この連載は今回で36回目を迎え、開始から丸3年が経過しました。初回は2023年5月22日でした。今後も千葉県北部の下総台地を中心に、凸凹地形を歩いて見つけた魅力ある場所を、可能な限り深掘りしてご紹介していきたいと考えています。
活動の原点となった場所
今回は、約12年前に千葉で地形と歴史を楽しむまち歩きを始めた際に初めて訪れた場所であり、現在の活動の原点とも言える市川市の真間山弘法寺とその周辺エリアを紹介します。
JR市川駅から真間山弘法寺へ
JR市川駅の北口を降り、国道14号(千葉街道)の信号を渡り西側に歩くと、すぐに真間山弘法寺の参道である大門通りの入り口があります。参道を歩き始めると、地面がわずかに盛り上がっていることに気づくでしょう。この辺りは市川砂州と呼ばれる微高地で、かつては現在の国道14号よりも南側が海岸線だったために形成されました。大門通りは住宅街の中を真っすぐに続き、京成線の踏切と真間川を越えると、以前紹介した真間の継橋と手児奈霊神堂があります。この一帯はかつて低湿地で「真間の入江」と呼ばれ、万葉の時代には州と州を結ぶ架け橋があったと伝えられていますが、現在は朱塗りの橋が架かっています。手児奈霊神堂には、万葉集にも詠まれた美少女・手児奈の伝説が残されています。彼女はあまりの美貌ゆえに、自ら真間の入江に身を投げて命を絶ったとされています。
海食崖と石段の登頂
大門通りは国府台の台地の崖で突き当たりとなり、正面に真間山弘法寺の石段が現れます。この崖は縄文海進の時代に形成された海食崖で、当時はこの台地の下まで海が迫っていました。市川駅からは徒歩約15分、京成線の国府台駅からは約10分で到着します。
台地の急な石段を上ると、下から27段目に「涙石」と呼ばれる石があります。これは常に濡れていることから名付けられました。石段を上り切って振り返ると、今歩いてきた市川駅方面の市街地を見下ろすことができます。ここからの眺めは絶景で、大門通りが真っすぐ先まで見渡せ、市川駅前のツインタワービルが風景の良いアクセントとなっています。
弘法寺の歴史と見どころ
仁王門の横にある解説板によると、弘法寺は奈良時代に行基菩薩が手児奈の霊を供養するために建立した求法寺が起源です。その後、平安時代に弘法大師(空海)が七堂を構え、真間山弘法寺と改名されました。鎌倉時代には日蓮宗に転じました。真間の地は、かつては北に六所神社があり、国府が設置されていた古代以来の下総国の中心地でした。本来は国府と密接に関わる寺院であったと推測されています。1323年(元亨3年)に千葉胤貞から寺領の寄進を受け、1591年(天正19年)には徳川家康から朱印地30石を与えられ、1695年(元禄8年)には水戸光圀も訪れたとされる名刹です。1888年(明治21年)の火災により、諸堂は再建されたものです。
境内には樹齢400年以上とされるしだれ桜の「伏姫桜」があり、近年は勢いが衰えてきましたが、今でも春には花を咲かせます。境内西側の崖際には、古墳時代後期の6世紀後半から7世紀前半ごろに築造された前方後円墳の弘法寺古墳があります。また、仁王門の手前から東側に進むと、台地の南東角地にある月見の広場から市川市街を一望できるので、おすすめのスポットです。
周辺エリアのさらなる魅力
ここから下総国分寺跡・下総国分尼寺跡がある国分の台地にかけてのまち歩きは、地形・景観・歴史を存分に味わうことができ、実に楽しいものです。多くの方々に訪れていただきたい、魅力あふれるエリアです。



