滋賀県甲賀市土山町は茶の栽培が盛んな地域として知られています。同町頓宮の茶畑のそばに広がる森の中に、ひっそりと鳥居が立っています。その鳥居をくぐると、小さな社殿が静かに佇む場所があります。そこが「垂水斎王頓宮跡」です。これは、未婚の皇族女性である「斎王」が、平安京(現在の京都市)から伊勢(現在の三重県明和町)にあった御殿「斎宮」へ移動する途中に宿泊した仮の宮殿の跡地であり、歴史に詳しい人々の間では知られたスポットとなっています。
記者が教える湖国一推しスポット
歴史や文化、自然に恵まれた滋賀県には、地元の人でもあまり知らない隠れた名所が数多く存在します。大型連休に合わせて、日頃から県内を駆け回る記者が、厳選した“一押しスポット”を紹介します。
(1)甲賀市の垂水斎王頓宮跡 古代の皇族女性が休んだ地
この記事では、垂水斎王頓宮跡に焦点を当てます。その他のスポットとして、竹生島の霊泉「瑞祥水」、高島市の「フィッシングパーク高島の泉」、豊郷町の豊郷小旧校舎群も紹介予定です。
斎王制度の歴史
斎王は、天皇が代替わりするたびに伊勢神宮に遣わされた未婚の皇族女性です。占いによって選ばれ、都で3年間、精進潔斎の日々を過ごした後、斎宮へと赴きました。天皇に代わって天照大神を祀る役割を担い、伊勢神宮の年3回の祭典では太玉串を捧げて拝礼しました。この斎王制度は飛鳥時代から南北朝時代まで約660年間続き、60人以上の斎王がいたと伝えられています。
斎王群行の道のり
886年、京都と伊勢を結ぶ「阿須波道」が整備されました。斎王は輿に乗り、500人を超える官人や女官らとともに深夜に都を出発しました。経路は、勢多(現・大津市瀬田)、甲賀(現・湖南市三雲か甲賀市水口町柏木)、垂水を経由し、難所の鈴鹿峠を越えて、鈴鹿(現・三重県亀山市)、壱志(現・同県津市か松阪市)を通り、斎宮に至るというものでした。途中、計5か所の頓宮で1泊ずつし、6日間かけて移動しました。この旅は「斎王群行」と呼ばれ、途中で斎王は川でみそぎを繰り返しました。
頓宮の遺構と垂水の重要性
頓宮の建物は群行のたびに新たに建てられ、使用後は解体されたため、遺構の位置を特定するのは困難です。5か所の頓宮跡のうち、位置が確定しているのは垂水のみです。地元の人々はこの一帯を「オコシ」と呼び、畏敬の念を持って語り継いできました。1944年には国の史跡に指定され、現在も頓宮跡としては唯一の指定を受けています。886年から1264年までの間に、31人の斎王がこの頓宮に宿泊したとされています。
現代における継承
土山町では、1998年から行列を再現するイベント「あいの土山斎王群行」を開始しました。華やかな衣装で再現されるこのイベントは親しまれてきましたが、近年は新型コロナウイルス感染症の影響で開催中止が続き、さらに資金や運営の難しさから、2019年が最後の実施となりました。
甲賀市歴史文化財課の駒井文恵さんは、土山について「古代から交通の要衝として認識されてきた」と語ります。かつて東海道五十三次の49番目の宿場町でもあり、徳川家光や明治天皇が宿泊した本陣もありました。駒井さんは「この場所が選ばれた要因の一つに、斎王宿泊の実績があったのではないか」と推測し、「垂水斎王頓宮跡で、往時のみやびな群行に思いをはせていただければ」と呼びかけています。
垂水斎王頓宮跡の概要
垂水斎王頓宮跡は、国道1号線沿いの丘陵上に位置します。東西64メートル、南北73メートルの区画を高さ1メートルの土塁が囲み、井戸跡も残っています。1038年に群行に随行した藤原資房の日記によると、皮付きの丸太で建てられた豪華な建物だったとされています。



