名古屋城の木造復元、一日も早い実現を願う車いすの1級建築士 祖父の思い胸に
名古屋城木造復元、車いすの1級建築士が願い

名古屋城の木造天守が1945年5月14日の名古屋空襲で焼失してから、14日で81年が経過した。バリアフリーを巡る差別発言による3年間の中断を経て、名古屋市が木造復元事業を再スタートさせるのを、特別な思いで見つめる人がいる。車いすの1級建築士で、天守の昇降技術公募に携わった阿部建設社長の阿部一雄さん(61)だ。大工として焼失を防ぐ計画に携わり、責任を感じていた祖父の思いを胸に、「自分が復元に携わったのもご縁。一刻も早く実現してほしい」と願っている。

祖父の悔いを受け継いで

太平洋戦争末期の1945年5月14日、名古屋空襲で天守は焼け落ちた。空襲当日、火の手を逃れて父親と堀に飛び込み、天守が燃える様子を目撃した女性(97)=名古屋市西区=は2024年の取材に、「足場が組んであった3階に焼夷弾が引っかかって燃え上がった。金シャチはだんだん燃えて中堀に落ちた」と証言している。

名古屋城振興協会に残る古写真には、空襲2日前の5月12日、天守の金シャチの周りに足場が組まれた様子が写っている。当時、空襲に備えて金シャチを城の屋根から下ろし、地中に埋めて避難させる計画が進んでおり、その一環で足場が設置されていた。大工の棟梁として計画を指揮していたのが、阿部さんの祖父の故貞一さんだった。

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計画に携わっていたことは社内の語り草だった。「責任を感じている?」。阿部さんは貞一さんの下で働き始めた20代のころに尋ねたことがある。貞一さんは「うーん」とうなり、黙り込んだ。「足場を組んだ身として、焼失の責任を感じていたんだと思う」と心中を推し量る。

復元事業への関わり

阿部さんは2018年から、名古屋城のバリアフリーを巡る議論にアドバイザーとして参加した。2019年には昇降技術公募に関する審査基準作成のワークショップで委員を務め、2022年の公募でも外部評価員として審査に携わった。祖父の「罪滅ぼし」を肩代わりするような気持ちもどこかにあった。

事業は2023年6月、市主催の市民討論会で起きた車いす利用者への差別発言問題でストップした。長らく中断してきたが、市は焦点となっている昇降機の設置階を今月内に決め、障害者団体などに示す方針だ。

阿部さんは現在の天守が閉鎖されてから今月で8年が経過したことにも触れ、「城に登れないのは良くない。早く市が結論を出して、方向性を丁寧に説明した上で進めてほしい」と話す。

復元事業の経緯と課題

名古屋城の復元事業は、現在の天守を解体後、豊富な資料を基に江戸中期の木造天守の姿を復元する計画。2009年4月に名古屋市長に就任した河村たかし衆院議員が、同年6月の市議会定例会で言及したことを発端に検討が重ねられてきたものの、計画を巡って現在も足踏みが続く。

当初の計画では2020年7月の完成を目指していたが、熊本地震の発生を受けて2022年7月に延期。さらに現天守の解体を先行する計画が文化庁の許可を得られず、2028年10月に延期した。2023年3月にとりまとめた整備基本計画案では、最短で2032年度の完成見通しを説明したが、その3カ月後、バリアフリーに関する市民討論会で車いす利用者に対する差別発言が起きて事実上ストップした。

一方、三菱重工業の子会社による小型昇降機の開発は順調に進み、今年3月には試作機が完成。今後は市側が審査で求めた「より上層階まで上がれる技術」を、最上階まで適用できるかが焦点となる。

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