女性杜氏の先駆者・千野麻里子さん、26年の歩みと酒造りの情熱
長野市に創業1540年を誇る老舗酒蔵「酒千蔵野」。この伝統ある蔵で、県内初の女性杜氏として26年間酒造りに携わってきたのが千野麻里子さん(58歳)である。蔵人の一人娘として生まれ育ち、2000年に32歳の若さで杜氏に就任。それ以来、女性杜氏のパイオニアとして「飲んだ人が笑顔になるお酒を造りたい」という信念を貫き続けている。
伝統と革新を両立する酒造りの道
酒千蔵野は長野県内で最も長い歴史を持つ酒蔵の一つとして知られ、川中島の戦いの際には武田信玄もこの蔵の酒を飲んだと伝えられている。主力銘柄には「桂正宗」や「幻舞」、「川中島」などがあり、長年にわたり地域に愛されてきた。
千野さんは酒造りについて学ぶため東京農業大学に進学したが、当時は日本酒について「宴会などで酔うためのお酒」という程度の認識しかなかったという。転機となったのは大学卒業後、国税庁醸造試験所(現・酒類総合研究所)で勉強していた時に訪れた居酒屋での一杯だった。
「手頃な価格ながら、華やかでうまみもある新潟の日本酒に出会い、『こんなお酒があるなんて。自分でも、思い描いた酒を造ってみたい』と強く感じました」と千野さんは振り返る。
困難を乗り越えての女性杜氏就任
実家の酒蔵で蔵人として働き始めた千野さんにとって、酒造りの世界は職人の領域だった。仕事のやり方は自分で覚えていくしかなく、毎朝5時に蔵に入り、1~2か月は先輩蔵人の背中を見て学んだ。
蔵人を8年余り務めた後、先代杜氏が病に倒れたことをきっかけに、当時県内では初となる女性杜氏として家業を継ぐ決意を固めた。しかし、道のりは決して平坦ではなかった。
「蔵人は60歳代と自分の父親と同世代。先代はそんなことやらなかったと言われ、指示通りにやってくれなかった時期もありました」と当時を語る。
独自のアプローチで金賞受賞へ
千野さんは「酔うためではない、おいしいお酒」を造りたいと考えていたが、全国新酒鑑評会に出品するため新しい酒造りに挑戦しようとすると、蔵人からの反発に直面した。
それでも諦めず、コメの洗い方や麹の手入れなど、自分のできる範囲で少しずつ作業を変えていった。その努力が実り、杜氏に就任して3年目には全国新酒鑑評会で金賞を受賞。結果が出たことで、ようやく蔵人からも認められるようになっていった。
五感を大切にした酒造り哲学
千野さんは主力銘柄を大切に守りつつも、時代に合わせた酒造りにも積極的に取り組んでいる。フルーティーで飲みやすい新銘柄「幻舞」を首都圏向けに出荷するなど、伝統と革新のバランスを追求してきた。
「毎年コメの出来は異なり、ゴールがないことが酒造りの魅力です」と語る千野さんは、データや数字以上に自身の五感を大切にしている。
タンクで酒が発酵するプチプチとした音、洗った後のコメの手触り、醪の香り——これらの感覚を研ぎ澄ませながら、「お客さんのおいしいの一言が、何よりの励みです」と笑顔で語る。
これからも長く愛され続ける酒を届けていくという千野麻里子さん。女性杜氏としての26年間の軌跡は、伝統産業における女性の活躍と、日本酒文化の未来を照らし続けている。



