消えた神楽、信仰の面影…故郷の記憶を伝え続ける高知・芸西村の道家神楽
消えた神楽、信仰の面影…故郷の記憶を伝え続ける

消えた神楽、信仰の面影…故郷の記憶を伝え続ける

「新調されたまま一度も使われていない神楽面がある」。約20年前に四国で勤務していた際、先輩記者から聞いた話が記憶に残る。その神楽は今、見ることができない。痕跡を探しに訪れたのは、高知県東部の芸西村。太平洋に面して4キロほどの白い砂浜が続く琴ヶ浜から山間部へ12キロ程度向かうと、車1台分ほどの幅に落石が散らばる、つづら折りの山道を進んだ先に道家(どうけ)地区はある。標高250メートル超。集落の中央付近に杉の巨木を背にして立つ十三躰星(じゅうさんたいほし)神社で催されていたのが「道家神楽」だ。

「高知県史」(1978年)や「芸西村史」(80年)などによると、「芸西神楽」とも呼ばれる道家神楽は、500年以上の歴史を持ち、和歌山県の熊野地方から伝来したという12枚の神楽面を用いて、6部構成で神楽が舞われたとされる。神楽に先立ち、立木に2本の太い縄を巻き付ける地鎮めの神事「トヤ巻き」が、「太夫」と呼ばれる民間の宗教者によって行われていたが、現在は伝わっていない。神楽は1968年秋の奉納を最後に途切れたままだ。60年に28世帯114人が暮らした道家集落の現在の人口は2世帯2人。隣の集落は住人がいなくなった。過疎化の波は山間の集落を静かにのみ込みつつある。

「神楽の時には神社の前で相撲があって、他の集落の人も訪れていた」。道家集落に今も暮らす大野志津子さん(85)は当時を懐かしむ。普段は戸が閉じられている十三躰星神社の拝殿を案内してもらうと、天井一面に明治期から昭和期にかけて奉納された絵馬が並び、この神社が神楽が催されていただけでなく、かつて広く信仰を集めていたことがわかる。「最初と最後に行う太夫の舞は動作が静かで、氏子と違い、厳格でしっかりしていた」。中学生の頃に神楽を舞った経験を持つ今村栄光さん(73)は往事を思い出す。今村さんの父親は長年舞手を務め、その縁で今村さんも参加することとなった。当時、すでに舞手は減少しており、父親から「踊りは終わる」と言われていたという。

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現存する道家神楽の資料は少ない。神楽の資料を納めたとみられる太夫のかばんを大野志津子さんは保管していたが、平成期に盗難に遭い、何が残されていたのかも、わからなくなった。神楽の姿を今に残す数少ない一つが、81年に撮影されたとされる映像だ。集落出身で撮影に携わった大野勝清さん(74)が「撮っている時は、貴重な資料になるとは思わなかった」と話す。カラーで1時間11分ほど。神楽の前の練習や住民らの様子も含む貴重なものだ。撮影時はすでに神楽は中断しており、映像を所蔵する村文化資料館の堀田幸生さん(73)は「神楽を知っている人がいる間に、地元の有志が保存しようとしたのでは」と推測する。

道家神楽の復活を目指し、村は92年、神楽面12枚を新調し、数回にわたり舞手を募ってきた。だが、今に至るまでその道筋は立っていない。大野志津子さんは語る。「寂しいと思うが、時の流れと思う。道家で暮らすのも私が最後だろう。元気な限りは、神社や故郷を守っていきたい」新調したものとは別に、村内には代々、道家神楽で使われた神楽面7枚が今も保管されている。明治期の火災を免れた最も古い面は、室町時代以前のものともされる。人が消え、集落が失われる日がいつか来たとしても、残された神楽面は故郷の記憶を伝え続ける。

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