「性的」と「えっち」を再定義する美学書が話題、公共空間での表象問題に新たな視点
「性的」と「えっち」を再定義する美学書が話題

「性的」と「えっち」を再定義する美学書が注目を集める

難波優輝氏による新書『性的であるとはどのようなことか』(光文社新書、990円)が、発売後すぐに話題を呼び、3刷で1万2000部を突破した。この本は、アートやエンターテインメント、特に女性の身体の描かれ方に関する議論を、単なる炎上の種としてではなく、連綿と続く美学的命題として捉え直している。

公共空間における「性的なもの」の暴力性

著者は、裸体のように客観的に性的欲求を煽りうるものを「性的なもの」と定義する。その有害性の一つとして、社会的ペルソナを無理やり引き剥がされることが指摘される。公共空間の広告などで唐突に裸体を見せつけられると、私たちは脈絡なく欲求を引き摺り出されて混乱してしまう。つまり、「性的な」広告はただけしからんというだけでなく、そこには他者の尊厳を損なう暴力性が潜んでいるのだ。

「えっちさ」がもたらす自己認識の扉

一方で、花瓶の曲線美のように、見る者の主観によって美的感性を認められるものを「えっちなもの」と呼ぶ。何かに「えっちさ」を感じるとき、私たちはその対象とひとつになりたいと希求し、そうなれない不完全な自己を浮き彫りにされ、さみしさを抱いているという。他者のペルソナを破壊する「性的」に対し、「えっちさ」はさみしさを搔き立てながらも、同時に自己を問い直す重要な扉となる。

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誠実な愛のあり方を考えるきっかけに

炎上こそしなくても、どれだけ自分にとって愛おしいキャラクターでも、場と表象を間違えると、他者を傷つける凶器になってしまう。本書は、性解放と性嫌悪の対立を超え、「性的」について考えることが、キャラクターや誰かを誠実に愛することに似ているかもしれないと示唆する。作詞家・小説家の児玉雨子氏も寄稿し、この視点を支持している。

難波優輝氏は1994年兵庫県生まれの美学者兼会社員で、分析美学とポピュラーカルチャーの哲学を専門とする。前著『なぜ人は締め切りを守れないのか』などもあり、今回の新書はその鋭い洞察がさらに深められた内容となっている。公共空間での表象問題に新たな光を当てる一冊として、読者の関心を集め続けている。

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