老舗バー「露口」の彫刻「さらわれたかたち」が美術館で新たな歴史を紡ぐ
露口の彫刻「さらわれたかたち」美術館で歴史を物語る

閉店した老舗バーの彫刻が美術館で新たな命を吹き込まれる

2022年に惜しまれつつ閉店した松山市の老舗バー「露口」。そのカウンターには、長年にわたり彫刻家・森堯茂(1922~2017年)によるブロンズ作品「さらわれたかたち」が置かれていた。夜な夜な「ハイボールの聖地」に集う酒客たちの姿を見守り続けたこの作品は、昨夏、愛媛県久万高原町の町立久万美術館に寄贈され、終幕した「夜の社交場」の歴史を静かに物語っている。

カウンターにたたずむ不思議な造形

「さらわれたかたち」は重厚なブロンズ製で、器や手のひらのような形をしているが、二つの丸い穴が穿たれ、捉えどころのない印象を与える。元々は青みがかっていた色は、カウンターで客になでられ、たばこの煙を浴びるうちに、黒みを帯びた茶色へと変化していったという。

この作品は森が1956年に制作したもので、高さ19センチ、幅16センチ、奥行き12センチという手頃なサイズだ。露口が開業した2年後の1958年頃から、森はこの店に通うようになり、マスターの露口貴雄(1936~2023年)と親しくなった。貴雄が作品を気に入り、譲り受けたとされているが、具体的な経緯は、二人が亡くなった今となっては詳しく分かっていない。

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寡黙な二人の深い信頼関係

「職人気質の森先生は、寡黙でぽつりぽつりと話をする人だった。夫も同じようなタイプ。だから波長が合ったみたい」と、貴雄と共に店を切り盛りした妻の朝子(83)は回想する。

貴雄は大阪でバーテンダー修業を終え、21歳で露口を開業。カウンター13席の小空間ながら、絶妙な技で作られるハイボールが多くの文化人に愛された。一方、戦後の現代美術界で活躍し、厳格でモダンな造形スタイルを貫いた森は、酒の飲み方が上品で、店ではいつも一人静かにハイボールを傾けていた。

二人は多くの言葉を交わすわけではなかったが、強い信頼で結びついているように見えた。夏には朝子も加わり、愛媛県南部まで釣りに出かけることも頻繁にあったという。

「さらわれたかたち」は、いつしかカウンターの隅に置かれるようになった。朝子は、森から「海外の岬をイメージして作った」と教えてもらったことを、おぼろげながら記憶している。不思議と店の雰囲気になじんだこの作品は、客が帰り際、店から去るのを惜しむかのように、なでていくことが多かった。

「色んな人の手にさすられ、艶つやが増した。丸々としていたのが、より一層丸くなったんじゃないかな」と朝子は笑みを浮かべる。

時が流れ、新たな居場所へ

月日は足早に過ぎていった。2017年に森が95歳でこの世を去り、2022年には夫妻が腰を痛めて店に立てなくなり、露口は64年の営業に幕を下ろした。貴雄が86歳で亡くなったのは、その翌年のことだった。

閉店後、「さらわれたかたち」は居場所を失った。朝子は気がかりだったが、夫を亡くした悲しみに暮れており、しばらく自宅の納屋に置かれたままとなっていた。

美術館との深い縁

「愛着がある。やっぱりきちんと保管してもらいたかった」。2023年に夫を亡くした朝子が頼ったのは、40年来の常連でもあった久万美術館の高木貞重館長(79)だった。

多くの文化人に愛された露口は、久万美術館とも深い縁で結ばれていた。同館は林業家の井部栄治(1909~87年)の収集品をもとに設立されたが、その多くは松山市出身の美術評論家・洲之内徹(1913~87年)が経営する画廊から購入されたもの。そして、井部の功労をたたえる同館のモニュメントを手がけたのが森だった。

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洲之内と森は、いずれも至高の一杯を求め、露口に足しげく通った。このつながりはさらなるつながりを生んだ。

高木館長は森の紹介で初めて露口を訪れた。当時、愛媛新聞の文化担当記者で、退職後に館長となってからも頻繁に顔を出し、すし詰め状態で企画展の打ち上げを開いたこともある。貴雄は美術に理解があり、展示のチラシを置いて宣伝してくれたといい、「美術館の意図を正確に伝えてくれるのが露口だった」と感謝の念を語る。

一方、露口夫妻にとっても、久万美術館は大切な場所だった。二人で毎年訪れ、アート談議に花を咲かせた。朝子は「足を踏み入れると、草原がばーっと、山奥に広がっているような感じがした」と評し、「最後はゆっくり椅子に座り、庭なんか眺めてね。貴雄さんと作品の話をたくさんした」と懐かしむ。

「帰るべき所へ帰ってきた」

「さらわれたかたち」を贈りたい――。朝子からの申し出に対し、高木館長には断る理由がなかった。

この作品は彫刻家のキャリアを振り返る上で重要な作品の一つだと認識していた。初期の森は人物像を専門に彫っていたが、この頃の作品には、具象をきっぱりとやめ、抽象彫刻家としての道を歩む決意が込められていると感じていた。

作品がたどってきた道のりも魅力的だった。元々は洲之内が大切に所有し、曲折を経て、貴雄が気に入って譲り受けたとされる。そして、高木館長が「あんな店はもうないだろう」と惜しむ露口のカウンターで、酒客たちの一期一会を見守り続けた存在だった。

「さらわれたかたち」は昨夏に久万美術館で受け入れられ、開催中のコレクション展で小特集「酔を求めて、飲み“歩く”」を組んで初披露された。

「帰るべき所へ帰ってきた感じ」と朝子は胸をなでおろす。この作品を見ると、露口のカウンターの中で貴雄がグラスにウイスキーと氷を入れ、ソーダを注ぎ、ハイボールを丁寧に作る姿がまざまざとよみがえるという。

「露口の思い出とともに、この場所でまた皆さんにお会いできたらうれしいです。なんちゃって」。朝子は作品の思いを代弁し、悲しみを振り払うように、ちゃめっ気たっぷりに笑った。

芸術家とバーテンダーの足跡

森堯茂は1944年に東京美術学校(現・東京芸大)を卒業後、県内で美術教師を務めた。洲之内との出会いを契機に上京し、自由美術家協会会員として抽象彫刻の第一線で活躍。美術専門誌の表紙を飾るなど注目を集め、1965年に松山市に拠点を移し創作を続けた。

露口は1958年に開店したカウンター13席のバーで、露口夫妻が二人三脚で切り盛りした。ウイスキーの割合が高いハイボールが人気を集め、貴雄はサントリーが2013年に発売した「角ハイボール缶<濃いめ>」のレシピ監修も務めた。カウンターの一枚板などがサントリー山崎蒸溜所(大阪府島本町)に移設され、露口の店内が再現されている。