早見えで鳴らし、終盤は「忍術」で形勢をひっくり返すことで知られる関西所属の有望株、服部慎一郎七段が棋聖戦でタイトル初挑戦を決め、藤井聡太六冠と対戦することになった。竜王戦では2組に所属しながら初の本戦入りを果たし、目に見える形で結果を出している。勢いに乗る26歳は少し前から「関東移籍」を検討し始めており、棋士人生の分岐点を迎えている。
羽生九段戦で決めた「忍術」の大逆転
5月1日に東京・千駄ヶ谷の将棋会館で行われたヒューリック杯棋聖戦挑戦者決定戦、羽生善治九段対服部七段戦は、羽生九段が終盤を優位に進めていた。隙を見せない着手が続き、前人未到のタイトル通算100期への挑戦が目前に迫っているように見えた。劣勢の服部七段は、相手玉に嫌みをつけ、上部を厚くする勝負手を連発し、羽生九段に「読み切る」暇を与えなかった。「ニンニン」の異名を持つ妖しげな攻防手を前に、羽生九段は何度も目を見開いて手を探した。息が詰まる寄せ合いの中、服部七段は「相手は読み切れていないかもしれない」と腹をくくった。
第1図の△3七金と竜を取った局面がクライマックスとなった。羽生九段は残り時間を投入して考え抜き、秒読みに入った。記録係が淡々と秒を読む中、羽生九段の手はすぐには伸びない。持ち駒は豊富で、いかにも詰みそうな後手玉だが、果たして……。羽生九段は▲5一飛と打った。これがプロの第一感で、豊富な持ち駒で詰みがありそうだったが、服部七段の△4四玉の忍術が炸裂した。助からないように見えても、馬や金が絶妙に利いていて助かっている。土壇場で形勢を入れ替えた服部七段が初のタイトル挑戦を決めた。終局直後、服部七段は金打ちを指摘し、羽生九段はうなだれた。第1図から▲4三金と俗に打ち、△6四玉に▲6三飛と追撃すれば、後手玉は狭く、詰んでいた。金打ちも飛車打ちも見えにくい手だが、最終盤は服部七段が際どく読み勝っていた。
同日、関西将棋会館で竜王戦4組の対局を終えた藤本渚七段は、棋聖戦挑戦者決定戦の棋譜を確認し「服部七段らしい大逆転勝ちで、勢いに乗りそうです」と話した。後日、服部七段は「ずっと敗勢で、あの将棋を勝てるとは思わなかった」と朗らかに振り返った。
竜王戦でも「手裏剣」で本戦切符
タイトル初挑戦を決めてから約2週間後、服部七段は竜王戦のランキング戦2組準決勝に臨んだ。相掛かりで主導権を握り、屋敷伸之九段に対して優勢に進めた。終盤の第2図では▲8四香と相手のお株を奪う「手裏剣」を放った。飛車先を止めさせれば先手玉に怖いところはなく、かなり早い段階から明快な寄せを組み立てていた。屋敷九段は△同飛とするも、▲7五角が詰めろ飛車取りで勝負は決した。服部七段はわずか57手、午後3時半過ぎに勝ち名乗りを上げ、初の本戦入りを果たした。今期の2組では佐藤天彦九段、山崎隆之九段を連破。2組決勝では久保利明九段に勝ってクラス優勝を達成し、竜王戦でも結果を残した。
「もぐら兄弟」の漫談と温泉卓球の思い出
富山市出身で気さくな人柄の服部七段は、地元を中心に北陸の将棋ファンから愛されている。昨年10月、福井県あわら市で行われた竜王戦七番勝負第2局の大盤解説会にゲストとしてサプライズ登壇し、冨田誠也五段とのコンビ「もぐら兄弟」として漫談を披露し、会場を沸かせた。その対局の打ち上げ後、冨田五段の巧妙な誘いで「温泉卓球」が幕を開けた。藤井竜王は「全く自信がない」と言いつつも、ラケットを構えるとさまになっており、服部七段はほとんど得点を奪えず完敗。藤井竜王は30分の予定が3時間に及ぶ卓球を楽しんだ。
服部七段はこの思い出について「藤井竜王は2日間の対局直後なのに、卓球で疲れを見せず長時間プレーしていました。底なしの体力に驚き、反射神経の良さにほれぼれしました。卓球では完敗しましたが、棋聖戦の盤上では終盤の競り合いに持ち込みたいです」と語った。続けて「藤井竜王の盤上、盤外での万能ぶりを体感し、ピンポン玉を打ち合った楽しさが今も焼き付いています。タイトル戦のさなか、機会があればまた卓球でお手合わせを願いたいです」と笑みを浮かべた。
関東移籍を模索する背景
普段は朗らかで少年のように話す服部七段だが、自身の将棋界での立ち位置を問われるとシリアスな表情に変わる。「おおらか」と評される駒組みで遅れを取るため、終盤で逆転の「忍術」が必要になる。そうした課題に向き合う中、関東の若手棋士の深い研究や洗練された序盤戦術に圧倒され、知識を吸収する必要性を感じ、関東移籍を模索し始めた。関西の先輩棋士に相談し、関東の棋士から情報収集も行った。北陸出身で純粋な「関西人」ではない服部七段にとって、移籍を考えることは自然かもしれない。それでも今年度の順位戦は「関西所属」で戦うことを決めた。「藤井さんとの棋聖戦五番勝負が棋士人生の分かれ目になるかもしれません。序盤から終盤まで隙のない相手に、どんな将棋を指せるか。タイトル戦の結果や内容を踏まえ、関東移籍をどうするか決めることになるでしょう」と語った。思いを秘めた「ニンニン」は和服の準備も万端で、6月4日に晴れ舞台へ上がる。



