ミラノ・コルティナパラリンピック、小池岳太が恩師の遺志を胸に最終戦へ
イタリアで開催中のミラノ・コルティナパラリンピックにおいて、アルペンスキー男子立位の小池岳太選手(43)が、今大会での引退を表明している。小池選手は、昨年12月に急逝した恩師・富井正一氏への深い感謝を胸に、最後の戦いに臨んでいる。
20年来の恩師が急逝、最後の指導は動画で
長野県野沢温泉村のスキーチーム「スノーバスターズ」の代表を務めていた富井正一氏は、昨年12月中旬、57歳の若さで急な病によりこの世を去った。小池選手は遠征先のスイスでこの悲報に接し、大きな衝撃を受けた。前日まで動画を通じて指導を仰いでいた恩師からの最後のアドバイスは、「もっと姿勢を低くして『塊』のように滑らないと」というものだった。その言葉が永遠の別れになるとは、信じがたい現実であった。
サッカーからスキーへ、人生を変えた事故
小池選手は長野県岡谷市で生まれ育ち、幼少期からサッカーに熱中していた。ゴールキーパーとしてJリーガーを目指し、日本体育大学に進学した。しかし、大学1年の時にオートバイ事故に遭い、頸椎を損傷。左腕にまひが残り、ボールをつかむことが困難となった。大学教員の勧めでパラスポーツを目指すことになり、幼い頃に親しんだスキーを選択した。
競技を始めようと指導者を探す中で、障害を理由に断られる経験を繰り返した。そんな中、友人からの紹介で出会ったのが富井氏だった。「いいんじゃない? パラリンピック。やろうぜ」と、あっさり受け入れてくれた恩師の言葉は、小池選手の心に強く響いた。
一からの指導と深い絆
富井氏はアルペンスキーの基礎を一から丁寧に指導し、転び続ける小池選手を「転び方だけはワールドカップ選手並みだな」と笑いながら根気よく支えた。障害者指導の経験がなかった富井氏は、小池選手の感覚を理解するため、自ら左腕を使わずに何度も滑る努力を重ねた。その姿に、小池選手は「同じ目線に立ってくれている」と深い愛情を感じたという。
指導を受け始めて3年後の2006年トリノ大会でパラリンピック初出場を果たし、以降毎大会に出場を続けてきた。成績が振るわない時も、富井氏は常に励ましの言葉をかけ、背中を押し続けてくれた。
引退の決意と恩師からの最後の励まし
北京大会後、小池選手はミラノ・コルティナ大会での引退を富井氏に伝えた。パラリンピックでの表彰台にはまだ立っていないが、体力の限界を感じていた。恩師は「最後は納得するまでとことんやれ」と励まし、引退後はチームの指導者になりたいという夢にも「期待している。頼んだぞ」と応えてくれた。
大会出国直前の2月17日、小池選手は富井氏の自宅を訪れ、遺影に手を合わせた。「正一さんに『よくやった』と言ってもらえるよう命がけで攻めた滑りをしたい」と決意を新たにしている。
残る種目は回転、全てを出し切る覚悟
小池選手が挑む最後の種目は15日の回転である。恩師から教わった技術と精神を全て出し切り、感謝の気持ちを込めて滑ることを誓っている。20年来の指導者との絆が、パラリンピックの舞台で最後の輝きを放とうとしている。



