移籍の自由を勝ち取ったボクサー、最後のリングへ
自分の尊厳をかけて、リングの上で、そして法廷で戦ったボクサーがいる。斉藤司(37)=東京・一力ジム所属=は3月27日、東京・後楽園ホールでスーパーライト級6回戦に出場する。これが斉藤の引退試合となる。
「もう少し、ボクシングを突き詰められられたかなって、思いもある。だけど、悔いはない」。26日に前日計量をパスしたあと、すっきりとした表情で話した斉藤は、ライト級で全日本新人王に輝いた元ランカーだ。日本タイトルに挑戦したこともあるが、それ以上に彼が日本ボクシング界に残した足跡は大きい。
法廷で戦ったボクサー、リングへ戻る
2016年10月、斉藤は当時の所属ジムのオーナーを相手取り、未払いのファイトマネーなど約300万円の支払いと移籍届への署名押印を求めて、千葉地裁に未払い金請求訴訟を起こした。ボクサーが所属ジムを訴えるのは全国初の出来事だった。
当時26歳。ボクサーとしても脂ののりきった時期になぜ、訴訟に踏み切ったのか。「ボクシングで成功して家族を養わないといけなかった。王者になるためにも環境を変えたくて焦っていた」と振り返る。
当時の日本のプロボクシング界では、所属元の承諾がなければ移籍できない慣習があった。また、斉藤はジムからファイトマネーを現金ではなく試合のチケットで受け取り、一定数以上が売れないと、ジムへの借金となることもあった。「お金ではなく、自由がほしかった」という思いが、法廷闘争へと駆り立てた。
画期的な判決が業界を変える
法廷闘争は2年に及んだ。弁護士と一緒にルールブックから読み込み、過去の移籍の例を調べる日々。「本当に大変でした」と語る斉藤。18年7月、地裁は訴えをいずれも棄却したが、判決理由で重要な指摘がなされた。
判決は、プロボクサーとジムとの契約は「準委任契約」にあたり、ボクサー側の申し出により、いつでも契約解除が可能とした。つまり移籍に際し、所属元による署名押印は、そもそも不要という判断だったのだ。ボクサーに「移籍の自由」を認める画期的な判決となった。
この判決は、サッカー界の「ボスマン判決」に例えられ、斉藤は「ボクシング界のボスマン」と呼ばれるようになった。19年10月1日、日本ボクシングコミッション(JBC)と日本プロボクシング協会は、選手とジムの契約期間は最長3年、契約期間が過ぎれば選手は自由に移籍できる新ルールを施行。ファイトマネーの指針も作り上げた。
家族を支えながらの復帰
斉藤は判決後に、一力ジムへ移籍した。だが、簡単にはリングには戻れなかった。足に障害のある妻や幼い3人の子ども、病気の母の世話をしながら、週5日のコンビニの夜勤で家計を支えた。ボクサーとして練習する時間をとることが難しかった。
昼の仕事にシフトし、リングに復帰したのが22年11月。約7年ぶりのリングはTKO勝ちで飾ったが、その後は1勝1敗1分けだった。24年春にアキレス腱を断裂する大けがを負い、回復に時間がかかった。「自分の限界が見えた」。王者になるという夢は遠くなった。
昨年12月から練習を再開し、年が明けて決断した。「最後のリングに上がる」と。
変化するボクシング界と誇り
ボクシング界は今、かつてない盛況を迎えている。スーパースターの井上尚弥の登場や、アマゾンなどの映像配信大手の参入などで、ファイトマネーをはじめ、ボクサーの待遇は右肩上がりだ。
「ボクシング界の変化が悔しくて。『俺の時はこうだったのに』とか、もちろんある」。法廷闘争など7年のブランクをつくった悔しさはある。ただ、選手が自由に移籍している現状は誇らしくもある。
「裁判やって良かったかな、とは思う。自分のためにやった裁判が、みんなのためにもなって、業界全体が変わるきっかけになったから」と語る斉藤。今は娘の通う小学校のPTA会長に就き、地域の消防団の一員にもなった。小学校の特別支援学級の介助員としても働いている。ボクサーでなくなっても、胸を張って生きていける自信がある。
「最後の試合はしっかり勝ちきりたい」。ボクサーの表情で話した斉藤の最後の戦いが、いよいよ幕を開ける。



