月一度の巡礼行 母が続ける息子への思い
月に一度、荒セツ子さん(77)は仙台市内からバスと電車を乗り継ぎ、ある場所へと向かう。目的地は仙台空港のそば、海沿いにあった集落の跡地だ。かつて家々が並んでいた土地は今、枯れ草に埋もれている。2011年3月11日、警察官だった息子の荒貴行さん(当時36)が住民の避難誘導中に津波にのまれた場所である。
避難誘導中に津波にのまれた警察官
荒貴行さんは宮城県警岩沼署で特殊詐欺などを担当する係長だった。あの日、揺れが収まった後、同じ課の2人と捜査車両に乗り込み、海の方へと向かったという。一帯は宮城県名取市北釜とその南の岩沼市相野釜の二つの地区が隣りあう地域で、避難場所の空港ビルまでたどりつけず、合わせて100人余りが津波の犠牲になった。
岩沼署の署員6人、地域の消防団員計9人もその中に含まれている。避難が遅れて亡くなった人、人を助けようとして命を落とした人——それが東日本大震災の現実だった。
「卑怯でも、生きててほしかった」
荒セツ子さんは翌年から一人でこの地を訪ねるようになった。年老いた母親が人知れず続けてきた「巡礼行」である。彼女はこう語る。「卑怯でも、生きててほしかった」。息子の職務への誇りと、それでもなお生きていてほしかったという母の慟哭が交錯する。
災害時に命を守る人をどう守るか
東日本大震災では、消防団員、警察官、消防職員など、人を助けようとして命を落とした人が大勢いた。災害時、命を守る人々をどう守ればよいのか——3.11の重い教訓は今も問い続けられている。
地震発生時刻と同じ午後2時46分。あの日は凍えるような寒さだった。荒セツ子さんは人肌に温めた水を持参し、時計を見ながら息子が最後にいた場所に思いをはせる。
教訓を未来へつなぐ
俳人で大阪公立大学教授の杉田菜穂氏は次のように指摘する。「人を助ける立場の方々を守るのも人を助ける立場の方々であり、人を助ける立場の方々が自分や仲間を守ることで人を助けることができる。その認識が殉職者の使命のたすきをつなぐことではないだろうか」。
警察官や消防士のような命を守る人々の存在が、社会の安全を支えている。しかし、彼ら自身の安全が確保されなければ、その使命は果たせない。震災から得た教訓は、単なる過去の記憶ではなく、未来の防災対策に活かされるべきものだ。
荒セツ子さんの巡礼行は、息子への思いとともに、災害時に命を守る人々をどう守るかという問いを社会に投げかけ続けている。月一度の訪問は、個人の追悼を超え、社会全体が向き合うべき課題を浮き彫りにする。



