能登半島地震で車支援537台貸し出し 石巻発のコミュニティ・カーシェアリングが自立促す
能登地震で車支援537台 石巻発カーシェアが自立促す

能登半島地震で車を失った被災者に無償貸し出し 石巻発の支援活動が広がる

能登半島地震では、住宅の倒壊や土砂崩れなどにより、多くの被災者が生活の足となる車を失う深刻な事態に直面しました。半島の東端に位置する石川県珠洲市で被災した新伝博文さん(71歳)もその一人です。海沿いの自宅が半壊し、家族9人は無事でしたが、軽トラックが津波で流されてしまいました。

珠洲市は20年前に鉄道が廃線となり、バスの本数も限られている交通不便な地域です。困り果てていた新伝さんが、避難所に貼られたチラシで知ったのが、一般社団法人「日本カーシェアリング協会」(宮城県石巻市)による車の無償貸し出しサービスでした。乗用車やトラックを20回以上借り、140キロ離れた金沢市に避難する際には家財道具の運搬にも活用しました。「車がなければ生活を立て直すのは非常に困難だった。本当に助かった」と振り返っています。

過去最大規模の支援 能登で537台を貸し出し

日本カーシェアリング協会では、平時から中古車の寄付を募り、災害発生時には必要な台数を被災地に迅速に届ける活動を続けています。能登半島地震での貸し出しは、発生から2週間後に開始され、活動を終えた昨年末までに計537台、延べ6189件の貸し出し要望に応えました。これは台数、件数ともに同協会にとって過去最大の被災地支援実績となっています。

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協会代表理事の吉沢武彦さん(47歳)は、このカーシェアリングによる支援の起源を2011年5月に遡ります。当時、京都府の企業から何とか手に入れた1台の乗用車を、東日本大震災で津波被害を受けた石巻市内の仮設住宅に届けたことが始まりでした。石巻では約6万台の車が被災し、住民たちが生活の足に困窮する中、この小さな一歩が大きな支援活動へと発展していったのです。

コミュニティ・カーシェアリングの確立 住民の自立を促す仕組み

その後、市の助成金や寄付金を財源として、仮設住宅や復興住宅の団地ごとに車を貸し出す形で活動が広がりました。住民同士で話し合い、買い物に出かける曜日を決めて利用者を募ったり、比較的若い入居者がドライバー役を買って出たりするなど、独自の利用ルールが自然と形成されていきました。このプロセスは、新たな自治会の結成につながったケースもあり、単なる車の貸し出しを超えたコミュニティ形成を促進しています。

吉沢さんは「石巻の人たちと一緒にこの仕組みを作り上げてきた」と強調し、この取り組みを「コミュニティ・カーシェアリング」と名付けました。現在では県内外の29か所で定着し、持続可能な支援モデルとして確立されています。

災害支援のノウハウ蓄積 能登では9か所の拠点を設置

一方、吉沢さんは各地で災害が発生するたびに現地に赴き、支援のノウハウを蓄積してきました。2018年の西日本豪雨では公共施設の駐車場に貸し出し拠点を設けるなど、地元自治体との連携を強化。2020年の九州豪雨では現地のNPOに貸し出し業務を委託し、サポートに回るなど、柔軟な対応を心がけています。

能登半島地震では、被災地が広範囲に及んだため、初めて9か所の貸し出し拠点を設置し、被災者が借りやすい環境を整えました。しかし、支援初期には最大400人の待機者が発生するなど、急増するニーズに追いつかず、状況が落ち着くまでに3か月を要したことも課題として挙げています。

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今後の展望 中古車寄付の社会定着を目指す

吉沢さんは、東日本大震災クラスの大規模災害では1万台以上の車が必要になると指摘し、平時から多くの車を準備しておくことの重要性を訴えています。「会社や個人の中古車を、災害に備えて寄付することが当たり前の社会になれば」との思いから、今年からは鹿児島、栃木、兵庫の3県で中古車販売店などの協力を得て保管場所を増やしました。協会の支部も能登半島地震以降に石川県などが加わり、全国6か所に拡大しています。

能登でも仮設住宅1か所でコミュニティ・カーシェアリングが始まり、緊急対応後の持続可能な支援の形が模索されています。吉沢さんは「与えるだけの支援ではなく、一緒に活動し、次は支援する側に回ってもらう。そんなやり方で進めたい」と語り、地域の人々がノウハウを受け継ぎ、自ら切り盛りしながら活動を継続していくことが「最上の支援」だと強調しています。

石巻発のこの取り組みは、単なる物資支援を超え、被災者の自立とコミュニティ再生を促す新たなモデルとして、今後も全国の災害支援に貢献していくことが期待されます。