原発事故で失った古里、彼岸花がつなぐ再会の絆
福島県川俣町山木屋の畑で、昨年10月の秋風に揺れる真っ赤な彼岸花。その美しい光景を目にしたのは、東京電力福島第一原発事故で故郷を離れた双葉町細谷地区の住民たちだ。午前11時には約30人が集まり、1年ぶりの再会に話が尽きなかった。子供や孫の近況を語り合う声が、秋空に響いていた。
細谷地区に植えられた思い出の彼岸花
事故前、細谷地区には45世帯約160人が暮らしていた。当時の区長、大橋庸一さん(84)の発案で、2009年頃に町道沿いに彼岸花の球根が植えられた。裏山に群生していた花を移植し、約150メートルの沿道が赤く染まるのを心待ちにしていた。しかし、2011年の原発事故で、その夢は途絶えた。
避難先のいわき市で、大橋さんは知り合いから「細谷の彼岸花がきれいに咲いていたよ」と連絡を受けた。胸に郷愁がこみ上げ、「見たいな」と願ったが、叶わぬ思いだった。細谷地区は除染土を保管する中間貯蔵施設となり、立ち入りも制限されていた。
川俣町への移植と「彼岸花を愛でる会」の始まり
転機が訪れたのは、川俣町山木屋で農業を営んでいた菅野源勝さん(2025年に死去)との出会いだ。菅野さんも事故で自宅を離れたが、2017年に避難指示が解除され戻った。コメ作りをやめ、花畑を作る夢を持っていた。大橋さんが「どこかに移植できないだろうか」と切り出すと、菅野さんは「俺の畑があるよ」と応じた。
2018年春、細谷から約3000株の彼岸花が川俣町に移植された。同年秋には、住民たちが集まる「彼岸花を愛でる会」が始まった。久しぶりに会う懐かしい面々に、大橋さんは古里に戻ったかのような気分になったという。
離散した住民たちの思いと希望
細谷の住民は九州など遠方に散り散りになり、子や孫も避難先に定着している。除染土の県外処分期限まであと19年。大橋さんは土地を国に売却し、70年近く暮らした古里に戻ることはないと覚悟した。胸の奥底には「鉛のように重いもの」が沈んでいる。
それでも、場所を変えて咲き続ける彼岸花は希望の象徴だ。愛でる会には埼玉県から車で数時間かけて駆けつける住民もいる。一面の彼岸花の間を歩き、芋煮の鍋を囲みながら、大橋さんは思う。「細谷に戻ってきたと感じているのは自分だけではない。この場を作れてよかった」と。
再会の花言葉と新たな移植先
彼岸花の花言葉には「再会」がある。細谷の住民が集まる場所にぴったりの花だ。さらに、福島県浪江町と双葉町に今月開園する県復興祈念公園の隣にも、細谷の彼岸花が移植された。再会の場がまた一つ増え、絆が広がっている。
秋風に揺れる赤い花は、失われた古里の記憶を静かに伝え続けている。



