15年間変わらぬ墓参りの日課、伝えられぬ感謝の思い
毎月11日の朝、仙台市若林区に住む大学敏彦さん(71)は必ずコンビニに向かう。妻の真知子さんにコーヒー、両親に水とお茶を買い求め、3人が眠る沿岸部の墓地へ車を走らせる。この日課は、東日本大震災から15年間、一度も途切れることなく続けられている。
荒浜地区で失われた5人の家族
大学さんが生まれ育ったのは、仙台市若林区の荒浜地区。海がすぐ近くに迫るこの地で、15年前の大震災により、同居していた妻の真知子さん(当時59)、近隣に住んでいた両親と兄、そしておいの合わせて5人を津波で失った。遺体はのちに自宅付近で発見されたが、なぜ浸水しなかった自宅の2階に逃げなかったのか、その詳細な状況は今も明らかになっていない。
「もし自分が自宅に帰れていたら、どうなっていただろうか」。そんな問いが頭をよぎることもあったが、大学さんはある時から、過去を悔やんでも何も変わらないと考えるようになった。代わりに、毎月の墓参りで家族に近況を報告することを日課とした。孫が生まれたこと、小学校に上がったこと――報告する内容だけが時とともに変化していく。
震災当日の記憶と変わらぬ日常
震災発生時、大学さんは内陸部にある勤務先のリサイクル会社にいた。家族全員がどのような状況にあったのか、詳細は未だに分からないままである。出勤前、妻の真知子さんが毎日用意してくれた弁当の記憶は、今も鮮明に残っている。
スーパーでの買い物も、震災前から変わらぬ習慣だ。総菜やヨーグルトなど、決まった品々を購入する姿は、2026年2月現在も続いている。この日常的な行為の裏には、失われた家族との共有時間への深い未練がにじむ。
慰霊碑に刻まれた名前と向き合う時間
2025年3月11日、仙台市若林区の慰霊碑の前で、大学さんは刻まれた家族の名前を静かに見つめていた。月命日には必ず荒浜地区を訪れ、かつて家があった場所に足を運ぶ。そこには、津波で流された自宅の痕跡はほとんど残っていないが、大学さんの心の中では、家族との思い出が色あせることなく息づいている。
「潰すように生きる」と表現される震災後の日々。大学敏彦さんは、伝えられなかった妻への感謝を胸に、今日もコンビニへ向かい、墓地へと向かう。15年という歳月は、喪失の痛みを癒やすには短すぎるが、彼の歩みは確かに続いている。



