森鷗外の意外な子煩悩ぶり 「褒めて育てる」元祖パッパの姿が明らかに
森鷗外の子煩悩ぶり 「褒めて育てる」元祖パッパの姿

明治の文豪が家庭で見せた意外な一面

家父長制が色濃い明治時代を生きた文豪、森鷗外には、公的なイメージとは異なる驚くべき一面があった。陸軍軍医総監として威厳ある姿で知られる鷗外だが、家庭では「パッパ」と呼ばれ、子どもたちを心から愛し、褒めて育てる慈父だったことが明らかになっている。

子どもたちが語る「恋人以外の何者でもない」パッパ

鷗外は、於菟(おと)、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)、類の4人の子どもを育てた。ドイツ留学の経験から、国際化を見据えた洋風の名前を付けたことにも、先進的な子育て観がうかがえる。子どもたちはそれぞれ父親の思い出を書き残しており、そこからは過保護とも思えるほどの子煩悩ぶりが浮かび上がる。

衛生学に精通していた鷗外は、子育てにも徹底していた。毎朝、杏奴と類を小学校まで送り届け、書斎に茉莉が入ってくれば筆を止めて「おいで」と膝に乗せ、10代になってもその習慣は続いたという。優秀だった於菟のためにドイツ語教材を手作りし、杏奴の唱歌帳には自らバラの絵を描き添えた。

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さらに、舶来のチョコレートなどのハイカラな菓子を買い与え、旅先からは頻繁に手紙を送って「おまえはいい子だ」と褒め続けた。茉莉は後に、父親を「恋人以外の何者でもない」と表現するほど、4人ともパッパを深く愛していた。

鷗外の子育てを支えた背景と苦悩

このようなパッパぶりには、鷗外自身の母親、峰子の影響もあったとみられる。森家は代々続く藩医の家系で、鷗外は待望の男子として生まれ、峰子から英才教育を受けた。東京大学医学部を19歳で卒業し、軍医としてドイツ留学するなど、母親が敷いたレールを順調に進んだ。

しかし、自叙伝的小説「舞姫」が示すように、鷗外は家や制度のしがらみに悩まされた経験があった。そのためか、子どもたちには自由を尊重し、旧弊にとらわれない育て方を心がけたようだ。明治という社会の価値観が大きく変化した時代にあって、鷗外は嫁姑問題に悩まされ、2度の結婚でいずれも板挟みになった。そんな中、子どもたちとの時間がせめてもの癒やしだったという見方もある。

記念館で展開される鷗外の家族像

文京区立森鷗外記念館では、コレクション展「鷗外と子どもたち―於菟、茉莉、杏奴、類が語るパッパ」が開催されている。同館の三田良美学芸員は、「鷗外は子どもと同じ目線に立ち、4人を平等に愛しました。どこに行っても恥ずかしげもなく子どもを褒める姿勢は、現代で言う『自己肯定感の育成』を100年以上も前に実践していたことになります」と語る。

展示では、鷗外が手作りしたドイツ語教材や、杏奴のそろばんに書かれた名前、受験勉強用にまとめた歴史ノートなど、子煩悩ぶりを物語る資料が並ぶ。鷗外が家族に注いだ深い愛情は、厳格な軍医や文豪というイメージを覆し、現代の子育てにも通じるヒントを提供している。

同展は3月31日まで開催されており、鷗外のもう一つの顔に光を当てている。明治の激動期を生きた偉人が、家庭ではどのような父親だったのか、その実像に迫る貴重な機会となっている。

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