水俣病が公式に確認されてから70年が経過した。産官学の癒着、地方が負担を強いられる構図、忘れられる加害。公害の原点は、現代に通じる数々の問題を内包している。水俣病に関するドキュメンタリーが表現者としての原点にある映画監督の是枝裕和氏に、その思いを聞いた。
公害を扱った番組制作の経験
是枝監督は過去に公害をテーマにした番組を制作している。1992年のテレビドキュメンタリー「公害はどこへ行った…」では、川崎製鉄千葉製鉄所周辺住民が大気汚染被害を訴えた裁判を取り上げた。企業城下町で声を上げるには相当な覚悟が必要であり、住民間でも白い目を向けられる。同じ状況は至るところで見られるが、その最たるものが水俣病だったのではないかと語る。
水俣の町を支えていた原因企業チッソの工場が製造する塩化ビニルなどは、高度経済成長に不可欠だった。チッソがなくなると大変だという世論が作られ、町が立ち行かなくなる弱みにつけ込まれ、地元は被害に目をつぶらされた。
福島原発事故との類似性
是枝監督は、福島の原発事故後の計画停電を例に挙げる。原発がなくなると大変だと危機感をあおり、脱原発の流れに向かないようにする誘導に感じたという。水俣病の時と似た構図が繰り返されていると述べている。
水俣病は1956年に公式確認されたが、その構造は今も変わらない。是枝監督は、加害の当事者であることの認識の重要性を強調する。公害問題は単なる過去の出来事ではなく、現在も進行形の問題であり、私たち一人ひとりが向き合うべき課題である。



