本能寺の変当日、毛利氏が決戦覚悟の書状発見 密約説を否定
本能寺の変当日、毛利氏が決戦覚悟の書状 密約説否定

織田信長が討たれた本能寺の変(1582年)の当日、中国地方の大名・毛利氏一門の武将である吉川元春が記した書状が確認され、山口県岩国市の博物館「岩国徴古館」が2日に発表した。この書状は、羽柴(豊臣)秀吉軍による「水攻め」を受けている毛利軍の窮状を憂い、もはや「安否の一戦」(決戦)を挑む以外にないと記している。

書状の内容と意義

書状は吉川元春が重臣に宛てたもので、秀吉の水攻めによって追い詰められた毛利軍の状況を詳細に伝えている。東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授は、この書状が本能寺の変を秀吉が事前に知り、毛利氏と密約を結んでいたとする一部の「密約説」を否定する内容だと指摘する。秀吉の水攻めを毛利側の視点で記した史料が確認されたのは初めてとみられる。

史料の来歴と展示

この書状は岩国徴古館に寄贈された文書群の中から見つかった。同館では6月6日から一般公開を開始する予定で、歴史ファンの関心を集めそうだ。

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