ハンセン病療養所の遺骨1万7千柱、家族の元に帰れぬ現実 隔離政策廃止30年で見えた家族の苦悩
ハンセン病療養所の遺骨1万7千柱、家族の元に帰れぬ現実 (31.03.2026)

ハンセン病療養所に眠る1万7千柱の遺骨、家族の元に帰れぬ現実

ハンセン病の回復者が暮らす全国14の療養所には、現在1万7千柱を超える遺骨が安置されています。これらの多くは、長い年月を経てもなお家族の元に帰ることのできない遺骨です。患者の強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されて、2026年4月1日で30年を迎えます。国は支援策を設けているものの、遺骨の引き取りは思うように進んでいないのが現状です。

厚労省調査が示す厳しい現実

厚生労働省の調査によると、14療養所の1万7822柱(2025年6月時点)の遺骨のうち、約1200柱は家族らが分骨して一部を引き取っています。しかし、納骨堂だけに安置されている遺骨は約1万6600柱に上っています。この数字は、社会的な偏見や家族の事情によって、多くの遺骨が故郷に戻れないままであることを如実に物語っています。

大伯父の遺骨を発見した研究者の決意

独協医科大学准教授の木村真三さん(58歳、福島県二本松市)は、30年ほど前に実家で親族の遺品を整理していた際、大伯父の仙太郎さん(1941年に55歳で死去)から届いたはがきを発見しました。そこには「長島愛生園」の文字があり、医学を学んでいた木村さんはすぐに、大伯父が国立ハンセン病療養所・長島愛生園(岡山県瀬戸内市)に入所していたことを理解しました。

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木村さんが母に「大伯父がハンセン病療養所にいたことを知っていたか」と問いただすと、父は「そんなことを言ったら、結婚させてもらえなかっただろう」と声を荒らげました。後に木村さんは、父自身が縁談の際に相手の父親から「患者が出た家とは結婚させられない」とナタを振り回され、破談になった経験があることを知ります。秘密を抱え続けた父の寡黙さの理由が腑に落ちた瞬間でした。

東日本大震災を機に変わった意識

木村さんは長年、親族にハンセン病患者がいたことを公に話すのを避けてきました。しかし、東日本大震災から5年ほど経った後、福島県の中高生を対象とした健康調査で、放射線への不安から「私たちは結婚できるの」「子どもを産んでいいんですか」という悩みを抱える若者たちの声を聞き、考えが一変しました。

「社会の偏見や風評にさらされるという点で、ハンセン病の患者家族と福島の若者たちの境遇が重なって見えました」と木村さんは振り返ります。同じ目線に立つことで不安を少しでも取り除きたいと、自らが患者家族であることを公表し、差別をなくす活動に取り組むことを決意しました。

大伯父の遺骨を故郷に迎える

国立ハンセン病資料館の学芸員の協力を得て、木村さんは2017年に大伯父の遺骨が愛生園にあることを突き止めました。「連れて帰ろう」と決意し、その年のうちに遺骨を引き取り、地元の墓に納めました。「家族と同じ墓で安らかに眠ってほしい」というのが木村さんの切なる願いです。

半世紀ぶりの兄弟再会

家族とのつながりを取り戻せた例もあります。大阪市平野区の山城清重さん(83歳)は2019年、故郷の島根県美郷町で、半世紀以上ぶりに兄の勇さん(88歳)と再会を果たしました。山城さんは「養子に出た」と思っていた兄が実はハンセン病療養所に入所していたことを知り、長年恨んでいましたが、「家族も同じように苦しんでいた」と気づいたといいます。

父は「帰郷した時に家を建てられるように」と杉の木を植え続けていました。その行動には、いつか家族が再び集える日を願う思いが込められていたのです。

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隔離政策廃止30年、問われる記憶の継承

「らい予防法」廃止から30年が経過しようとしていますが、ハンセン病をめぐる差別や偏見は完全には消えていません。1万7千柱を超える遺骨が家族の元に帰れない現実は、過去の政策がもたらした深い傷跡を今もなお示しています。

木村さんのように家族の歴史と向き合い、遺骨を迎え入れる動きはまだ少ないながらも、確実に広がりつつあります。社会全体がこの問題とどう向き合い、記憶を次世代に継承していくかが問われる時代が来ています。