「ラゾーナ川崎」に残る東芝工場の面影、100年の歴史をたどる
「ラゾーナ川崎」に残る東芝工場の面影、100年の歴史

JR川崎駅に直結する商業施設「ラゾーナ川崎プラザ」(川崎市幸区堀川町)は、かつて東芝の主力工場があった場所に建設され、2026年秋に開業20周年を迎える。この節目に、工場の面影をたどった。

東芝工場の歴史

前身の東京電気川崎工場は1908年に操業を開始。その後、芝浦製作所との合併により1939年に東京芝浦電気が設立され、1945年の空襲被害を経て、1952年に白黒ブラウン管の生産を開始した。工場跡地には、これらの歴史を刻んだモニュメントや、1906年からラゾーナ開業までの100年間の日数を表す約3万8000枚のタイルが埋め込まれている。

ラゾーナに残る遺構

屋上には「ラゾーナ出雲神社」があり、工場の安全と繁栄を願って島根県の出雲大社から分祀されたものだ。敷地内には工場時代の記念碑や消火用ポンプも残る。また、工場操業前の1906年からラゾーナ開業までの1日1日を表す数字が刻まれたタイルが、道のようにラゾーナ2階まで続いている。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

元従業員の証言

東芝労働組合川崎支部の最後の執行委員長を務めた小林千代志さん(82)は、1960年代に就職し、工場の活気を記憶する。彼は「チームで部品を作って納める仕事だったから、チームプレーが大事。行事を通して人を束ねていた。この桜は堀川町工場の栄枯盛衰を見守ってきた」と語る。

工場の変遷と地域への影響

約11万平方メートルの工場跡地には、商業施設や分譲マンション、オフィスビルが建設された。2006年9月に開業したラゾーナは、全国屈指の売上高を誇るショッピングセンターとなった。福田紀彦市長は「川崎駅周辺が変わったと言われ、ラゾーナができた影響はすごく大きい」と分析する。

記憶の継承

一方で、小林さんは「工場の歴史が忘れ去られつつあるのでは」と案じ、「そうならば、伝承しなかった俺たちにも責任がある」と自戒を込める。東芝は経営再建中で、昨夏にはラゾーナに隣接するビルに本社機能を集約した。広報担当者は「グループの製造・技術開発を支えてきた川崎地区で、より良い製品・サービスの提供を目指す」とコメント。小林さんは「現役社員が地域に目を向けて東芝で働く自信と誇りを持ち続けられるよう、工場時代のことを語り継いでいってほしい」と願った。

堀川町工場の記録

堀川町は1945年から2001年まで東芝の登記上の本店所在地だった。工場は戦後、ブラウン管や半導体の開発製造拠点として発展し、ピーク時には生産高600億円、従業員数6000人に達した。また、サッカーJ2・北海道コンサドーレ札幌の創部の地でもある。駅前の立地から敷地拡張が難しく、役割は量産から開発・試作へと変わり、1995年に川崎事業所に改称、1999年に廃止された。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ