埼玉の被爆者団体「しらさぎ会」、貴重な活動記録が散逸の危機 高齢化で継承が課題
被爆者団体の資料散逸危機 埼玉で高齢化が深刻化

埼玉の被爆者団体「しらさぎ会」、貴重な活動記録が散逸の危機 高齢化で継承が課題

埼玉県蕨市にある県原爆被害者協議会(通称・しらさぎ会)の事務局では、書籍やファイルがびっしり詰まった戸棚が目を引く。副会長の浜中紀子さん(82)は、1月下旬、これらの資料を前に深いため息をついた。「資料をどう残していくべきなのか。早く話し合わなければと思うが、なかなか進められなくて…」と語る。戦後80年が経過し、被爆者の高齢化が急速に進む中、活動を記録した貴重な資料の散逸を防ぎ、適切に保管する方法が緊急の課題となっている。

半世紀の「足跡」が詰まった資料群

しらさぎ会は1973年に発足し、被爆者支援や核廃絶運動を続けてきた。事務局に保管されている資料には、発足以降の「足跡」が刻まれている。被爆者健康手帳の申請書類の写し、原爆症認定を求める集団申請の調査票、2021年に県内の被爆者約300人を対象に実施した医療給付や介護保険に関するアンケート結果、毎月発行される手作り新聞「しらさぎ会便り」などが含まれる。浜中さんはアンケートをめくりながら、「県内の被爆者が何に困っていたのかなどが分かる貴重な資料。何らかの形で残さなければいけない」と強調する。

高齢化で解散・活動休止が相次ぐ

被爆者の高齢化は全国的に深刻だ。厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は2025年3月末時点で9万9130人と、初めて10万人を下回った。平均年齢は86.13歳に達している。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)によると、かつて47都道府県すべてに組織されていた被爆者団体のうち、昨年12月末時点で栃木や群馬など12道県で解散や活動休止が広がっている。

被団協の工藤雅子事務室長は、「独立した事務所を構えている団体は少なく、個人宅で資料が保管されている場合も多い。会長が亡くなるなどして解散や活動休止となり、資料の所在をたどれなくなるケースもあった」と明かす。被団協は15年ほど前から資料整理を呼びかけてきたが、ほとんどの団体が未着手のままという。

「被爆者だけの責務ではない」

NPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」で資料整理を担う栗原淑江さんは、「いったん廃棄してしまうと、二度と見られなくなる。まずは、『何を保存しておくべきか』をあまり考えずに残してほしい」と訴える。同会の資料庫には、各地の団体が発行した証言集など約2万点が保管されているが、栗原さんは「公民館の図書室に設けられる『地域の戦争資料』のような一つのコーナーでもいい。各団体が活動する地元に保管、公開の拠点があれば、地域住民もアクセスしやすい」と提案する。

継承は「被爆者だけの責務ではない」と栗原さんは強調。「被爆者は自分たちのためではなく、悲惨な被害が繰り返されないために運動してきた。その足跡は、私たち皆の財産だ。自治体や市民団体、大学なども協力し、整理や保存に知恵を絞ってほしい」と語る。

大学でも動きが活発化

昭和女子大学(東京都世田谷区)では、2018年に「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」を発足させ、被団協関連の文書を「歴史資料」として整理・分析している。同学の松田忍教授(日本近現代史)は、「広島、長崎への原爆投下に対する政府の対応は、施策の範囲が『健康』への配慮に限定され、原爆が人間に対して何をもたらしたかを十分に捉えられていない」と指摘する。

プロジェクトには各年度で学生10〜15人が参加し、松田教授は「参加者の議論の質は年々深みを増している。学生にとって、原爆は『あの日』という点で捉えていたものが、その後に暮らす世界の土台の部分になっていることを知る機会になる」と意義を語る。被爆者が声を上げてきた成果について、「日本国民が戦後、なぜ核を保有しようという意識にならなかったか。その時々の被爆者の活動の積み重ねでもたらされたからだ」と解説する。

「核とは恐ろしいものだ」という理解を未来へ

松田教授は、「『核とは恐ろしいものだ』という基本的な理解は、被爆者たちの選択と勇気によって社会に定着してきた。人間の選択によって未来はつくることができるし、変えていける。資料や記録はそのことを教えてくれる存在だ」と力説する。浜中さんも、「みんなが弱ってきている。私も含めて10年後、誰が生きていられるのか分からない。直接伝えられなくなったとき、資料を散逸せずに保存していなければ、埼玉の被爆者たちの思いや歩みが分からなくなる」と危機感を募らせる。

戦争の記憶が風化しつつある今、被爆者団体が残した貴重な「歴史遺産」を後世に引き継ぐため、行政や研究機関、市民が一体となった取り組みが急務となっている。