仮設住宅7年半、変わりゆく故郷を見つめて走る日々 石巻の被災者、名古屋ウィメンズマラソン初挑戦へ
仮設住宅7年半、走り続けた被災者 ウィメンズマラソン初挑戦 (01.03.2026)

仮設住宅暮らし7年半、ランニングが支えた被災者の日々

東日本大震災で被災した宮城県石巻市の団体職員、小嶋麻子さん(65)が、8日に開催される名古屋ウィメンズマラソンに初めて参加する。自宅を失い、長年にわたる避難生活の中で、ランニングは欠かせない存在だった。震災から間もなく15年を迎える今、故郷の復興を願いながら走り続けた日々を振り返り、名古屋の街を駆け抜ける決意を固めている。

震災の記憶と避難生活の始まり

2011年3月11日、小嶋さんは石巻市の職場で激しい揺れに襲われた。津波は2階建ての建物の1階に流れ込み、同僚と共に屋上へ避難。翌日、消防団のボートで救助された。街は海のようになり、20キロ離れた自宅に近づくことさえできなかった。3日後、水が引き、10キロを知人の車で、残る10キロを歩いて避難所から自宅へ向かった。フルマラソンの経験から「10キロくらい大丈夫だろう」と思ったが、がれきだらけの路面は仕事用の革靴では歩きにくく、靴下は破れてしまった。平屋の自宅は津波で浸水し、車は流されていた。夫の無事が分かったのは震災から4日ほど後のことだった。

ランニング再開と仮設住宅での7年半

街は泥に覆われ、道路がなくなっている場所もあり、「走るというレベルじゃなかった」と小嶋さんは振り返る。地元の農協で共済関係の仕事をしていたため、1週間後には職場に復帰し、被災者の保険金対応に追われた。自宅の片付けもあり、日々の生活で精いっぱいだった。震災前は、同市を流れる旧北上川の土手を走るのが定番の練習コースだった。ランニングを始めたのは42歳の頃で、開始3カ月で出場した10キロのマラソン大会が「お祭りみたい」で楽しく、走ることに夢中になった。年1~2回、各地のフルマラソンに出るのが楽しみだった。

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震災から2カ月たったころ、高台の宿泊施設の避難所に移り、少し時間に余裕ができた。ふと「走ろうかな」と心に浮かび、施設周辺でランニングを再開した。「走ることは自分の生活の一部。今思えば、早く元に戻したい気持ちがあったのかもしれない」と語る。その後、仮設住宅での生活は7年半に及び、内陸地に自宅を建て直したのは2019年だった。その間、2015年に始まった地元の「いしのまき復興マラソン」に毎年出場。道路は年々きれいになり、海沿いには防潮堤がそびえ立ち、海が見えなくなった。変わっていく街を見つめながら走り続けてきた。

景色の変化と新たな挑戦への思い

練習場所だった旧北上川は津波が遡上し、大きな被害があった。今では立派な堤防と歩道ができ、河口部の家々はなくなった。昔と全く違う景色になったが、15年たち、「それにも慣れてきた」と話す。寂しさもあるが、「執着しても仕方ない」と割り切る姿勢を見せる。名古屋ウィメンズマラソンは「ゴールの雰囲気が華やか」と憧れていた大会。「躊躇していると年を重ねて走れなくなってしまう」と、今回初めてエントリーした。震災1年後に始まった大会は今年15回目。自身の歩みと重ねつつ、「名古屋の街をじっくり味わいたい」と心待ちにしている。

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