ハンセン病回復者が語る療養所での約60年 治療の苦闘と隔離の記憶
ハンセン病問題を考える催しが5日、東京都東村山市で開催され、国立療養所多磨全生園で約60年間生活するハンセン病回復者の平野智(さとる)さん(87)が講演を行いました。平野さんは療養所内での生活実態や治療の困難さ、隔離政策の実情について詳細に語り、参加者に深い印象を残しました。
小学6年生で告知 療養所への長い道のり
平野さんは愛知県出身で、小学6年生の時にハンセン病と診断され、静岡県の駿河療養所に入所しました。1956年には岡山県の長島愛生園内にある邑久高校新良田教室に入学し、卒業後に一時的に社会復帰を果たします。しかし、病気が再発したため1965年に多磨全生園に入所し、現在に至るまで約60年間を同園で過ごしています。
「足跡を消毒された」隔離政策の厳しい現実
平野さんは講演で、駿河療養所に向かう患者専用電車に乗るため駅ホームを歩いた際の経験を語りました。「後ろから役人がついてきて、私の足跡を消毒されました」と振り返り、当時の隔離政策が如何に厳しいものであったかを説明しました。このエピソードは、ハンセン病患者に対する社会の偏見と差別の実態を如実に示すものとなっています。
療養所での治療については、特効薬とされたプロミンを毎日注射するなど「あらゆる皮下注射をした」と明かし、「病気を治そうと必死だった」当時の心境を語りました。治療の苦闘は身体的にも精神的にも大きな負担であったことが窺えます。
子どもを持つことを禁じられた悲しみ
平野さんはまた、結婚しても子どもを持つことを禁じられた政策について触れ、「入所者は、子どもに対する気持ちがすごくある」と語りました。この発言は、ハンセン病患者が基本的な家族形成の権利すら奪われていた歴史的事実を浮き彫りにしています。隔離政策が個人の人生に与えた深い影響について、参加者は改めて考えさせられることとなりました。
歴史的建造物の保存に向けた動き
この講演は、3月31日から開催されている「ハンセン病問題を知る企画-『らい予防法』から考える-」の関連イベントとして実施されました。同日には、療養所内にある歴史的建造物の保存についての講演も行われ、重要な議論が交わされました。
群馬県の栗生楽泉園にある重監房資料館の黒尾和久部長が登壇し、多磨全生園内の神社や土塁、隔離の象徴とされたヒイラギの垣根などが、厚生労働省の検討会で修復・保存する対象に決定されたことを説明しました。黒尾部長は「100年前の建物も、現在の建物も大事」と強調し、入所者が現在も生活する寮舎などについても解体せずに残す方向で検討すべきだと訴えました。
記憶の継承と未来への課題
今回の催しは、ハンセン病問題の歴史的経緯と現在の課題を考える貴重な機会となりました。平野さんの体験談は、隔離政策の実態を生の声として伝えるとともに、差別と偏見の克服に向けた社会的な取り組みの重要性を改めて認識させる内容でした。
歴史的建造物の保存問題については、単なる建築物の維持ではなく、ハンセン病患者の歴史と記憶を後世に伝えるための重要な手段として位置付けられています。今後の保存活動が如何に進められるかが注目されます。
ハンセン病回復者たちの声を聴き、その経験を記録し、未来へ継承していくことの意義は計り知れません。今回の講演が、より多くの人々にこの問題への理解を深める契機となることが期待されます。



