広中平祐氏が死去 フィールズ賞受賞の数学者、代数幾何学の巨人
広中平祐氏死去 フィールズ賞数学者、代数幾何学の巨人

広中平祐氏が94歳で死去 フィールズ賞受賞の数学者、代数幾何学の巨人

数学界に輝く巨星が逝った。数学のノーベル賞と称されるフィールズ賞を受賞した数学者、広中平祐(ひろなか・へいすけ)氏が2026年3月18日、94歳で死去した。代数幾何学の分野で革新的な研究を展開し、日本の数学界を世界に導いた功績は計り知れない。

山口県出身の世界的数学者、その歩み

広中氏は山口県由宇町(現・岩国市)の生まれ。京都大学理学部を卒業後、学問の道を邁進し、米ハーバード大学と京都大学でそれぞれ博士号を取得した。キャリアは米ブランダイス大学准教授、米コロンビア大学教授を経て、1968年からはハーバード大学教授に就任。1975年からは京都大学教授も併任し、京大数理解析研究所の所長も務めるなど、日米両国で指導的な役割を果たした。

代数幾何学における「特異点解消」の偉業

専門は代数幾何学。19世紀から20世紀にかけて発展したこの学問は、方程式で表される図形「代数多様体」の性質を探求する分野だ。図形には交点やとがった点など、扱いが難しい「特異点」が存在し、これを解消する方法が長年の課題だった。広中氏は、かつて3次元までに限られていた解法を、あらゆる次元の図形に一般化する画期的な研究成果を発表。「特異点解消」理論として知られるこの業績は、数学界に大きな衝撃を与えた。

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数々の栄誉と教育・振興への貢献

広中氏は1967年度に朝日賞、1970年に日本学士院賞を受賞。同年、日本人として2人目となるフィールズ賞に輝き、1975年には文化勲章を受章した。当時44歳での受章は、昭和生まれとして初の快挙だった。その後も数学教育の振興に尽力し、1984年には数理科学振興会を設立。1996年から6年間は山口大学の学長を務め、後進の育成に心血を注いだ。

「決して人に負けない」根気で研究を貫く

フィールズ賞受賞は39歳の時。それから倍以上の歳月を重ね、80歳を超えても「特異点解消」の研究に取り組み続けた。自らを「決して人に負けない」と評した広中氏の、最後までやり抜く根気は晩年まで衰えず、数学への情熱は生涯を通じて揺るがなかった。故郷の山口県では、岩国市の小学校で授業を行うなど、地域への貢献も忘れなかった。

広中平祐氏の逝去は、数学界のみならず、日本の学術全体に深い悲しみをもたらしている。その偉大な足跡は、代数幾何学の発展に不可欠な礎として、今後も輝き続けるだろう。

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