百済王宮跡出土の甲冑が飛鳥寺出土品と酷似 日本書紀の記述を考古学的に裏付け
百済王宮の甲冑が飛鳥寺出土品と酷似 日本書紀裏付け

百済王宮遺跡の甲冑が飛鳥寺出土品と驚くべき類似性 日本書紀の記述を考古学が実証

古代朝鮮三国の一つである百済(4世紀半ば~660年)の王宮遺跡で発掘された甲冑が、日本初の本格的仏教寺院である飛鳥寺跡(奈良県明日香村)から出土した甲冑と極めて類似していることが、日韓両国の研究者による共同調査で明らかになった。この発見は、飛鳥寺の建設経緯を記した日本書紀の記述を考古学的に裏付ける決定的な証拠として注目を集めている。

飛鳥寺と百済の深い関係を物語る甲冑の一致

日本書紀によれば、飛鳥寺は588年に百済から僧侶や技術者の派遣を受けて建設が開始されたとされている。今回の調査では、百済の王宮遺跡である韓国忠清南道公州市の公山城遺跡から2011年と2014年に出土した鉄製および皮革製の甲冑が、飛鳥寺跡で発見された甲冑と驚くほど似通っていることが確認された。

特に注目されるのは、胴体を保護する「札甲」と肩から上腕部を守る「腕甲」が一体化した構造が両者で共通している点だ。この特殊な構造の一致は、単なる偶然の類似を超えて、技術的・文化的な直接的な交流を示唆している。

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半世紀を超える調査の積み重ねが解明した真実

飛鳥寺の甲冑は、1957年に奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)によって、地下約2.7メートルの塔心礎上面から発見された。当時は鉄製の甲冑や蛇行状の鉄器などが埋納された状態で出土しており、長らくその詳細な分析が待たれていた。

2015年からは奈良文化財研究所飛鳥資料館の石橋茂登学芸室長らによる再整理が開始され、元興寺文化財研究所の初村武寛研究員との協力のもと、X線撮影や三次元計測など最新の科学的手法を用いた詳細な調査が進められた。初村研究員は2024年初頭に公州大学歴史博物館で百済王宮遺跡出土の甲冑実物を直接観察し、飛鳥寺出土品との構造的類似性を確認した。

専門家が指摘する歴史的意義

飛鳥時代の遺跡に詳しい猪熊兼勝・京都橘大学名誉教授(考古学)は、これまで飛鳥寺の甲冑には古代朝鮮三国の高句麗の影響が指摘されてきた経緯を説明する。しかし今回の発見により、「百済の王宮跡で飛鳥寺と同じ構造の甲冑が発見されたことで、日本書紀の記述通り、飛鳥寺建設において百済の影響が強かったことが物的証拠からも明らかになってきた」とその歴史的意義を強調する。

百済王宮遺跡から出土した皮革製の甲冑には「貞観十九年」(唐の年号で西暦645年)との記述が確認されており、年代的な特定も可能となっている。この年代は飛鳥寺の建設時期とも符合し、両地域間の活発な交流がこの時期に集中していたことを示唆している。

日韓古代史研究における新たな展開

今回の発見は、単に個別の遺物の類似性を超えて、古代東アジアにおける技術交流や文化伝播の実態を具体的に示す貴重な事例となった。飛鳥寺の建設に百済の技術者が関与したという日本書紀の記述は、これまで文献史学の領域で議論されてきたが、考古学的な実証が困難だった。

甲冑という軍事・工芸技術の結晶が両遺跡でほぼ同一の構造を持つという事実は、当時の技術者が実際に移動し、その知識と技能を直接伝えた可能性を強く示している。これは古代国家間の人的交流の実態を物語る生きた証拠として、今後の日韓古代史研究に新たな視点を提供するものと期待される。

飛鳥寺と百済王宮遺跡の比較研究は、古代東アジアの仏教伝来や寺院建築技術の伝播過程を解明する上でも重要な手がかりとなる。両国の研究者による継続的な共同調査が、さらなる発見をもたらすことが期待されている。

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