箸墓古墳で新たな「渡り堤」が出土、古代の設計思想に迫る
邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説もある奈良県桜井市の箸墓古墳(3世紀後半、全長約280メートル)で、周濠を横断する新たな「渡り堤」の一部が出土した。桜井市教育委員会が2月19日に発表した。これは1998年に別の渡り堤が発見されて以来、2例目となる貴重な発見であり、後の時代の巨大古墳にも複数の渡り堤が確認されていることから、箸墓古墳がそのルーツになったことを強く裏付ける形となった。
発掘調査の詳細と渡り堤の特徴
今回の発掘調査は、周辺の土地開発に伴い、市教委が今年1月から前方部南側の約60平方メートルを対象に行われた。確認された渡り堤の一部は幅2メートル、長さ6.4メートルで、周濠跡の底からの高さは1.6メートルであった。出土した土器などの分析から、この渡り堤は古墳築造当初に造られ、調査地の北側で墳丘と接続していたと推測されている。
一方、1例目の渡り堤は東に約150メートル離れた後円部に位置し、斜面に葺き石が敷き詰められていたが、今回の渡り堤には葺き石が確認されなかった。この違いは、古墳の設計や機能の多様性を示唆している可能性がある。
渡り堤の役割と古代の思想
箸墓古墳は傾斜地に築かれており、後円部側と前方部側の高低差は約6メートルある。これまで渡り堤は通路としての役割が考えられてきたが、市教委は「周濠を区画して水をまんべんなくためる堰の役割もあったと想定される」と指摘。後の時代の巨大前方後円墳、例えば渋谷向山古墳(4世紀中頃、奈良県天理市)などにも複数の渡り堤が存在することから、水管理技術の進化が窺える。
箸墓古墳に詳しい桜井市纒向学研究センターの寺沢薫所長は、この発見について「傾斜地の巨大古墳の周濠にも水をためていたのは、古墳が古代中国の神仙思想に基づいて造られ、仙人が住むとされた海に浮かぶ蓬莱山を模していたからだろう」と解説。古代の設計が単なる実用性を超え、深い思想的背景を持っていたことを示唆している。
今後の展開と現地説明会
現地説明会は2月21日午前11時から午後2時まで開催され、雨天の場合は22日に延期される予定だ。問い合わせは桜井市教委文化財課(0744・42・6005)まで。この発見は、卑弥呼の墓説を巡る議論に新たな材料を提供するとともに、日本古代史の解明に向けた重要な一歩となることが期待される。



