飛鳥・甘樫丘で天武・持統朝の塀跡発見 官僚邸宅とコメ蔵の可能性浮上
甘樫丘で7世紀後半の塀跡 官僚邸宅の可能性 (18.03.2026)

飛鳥時代の甘樫丘で重要な塀跡を発掘 官僚邸宅の可能性に注目

奈良県明日香村の甘樫丘遺跡群において、7世紀後半に築かれたと推定される塀跡が新たに発見されました。村教育委員会が3月18日にこの調査結果を公表し、考古学界に大きな関心を呼んでいます。この塀跡は、小規模な倉庫や付属施設を囲んでいたとみられ、専門家の間では、律令国家の形成を推進した天武天皇と持統天皇の時代に、この地域に官僚層の住宅や業務施設が存在した可能性が指摘されています。

発掘調査の詳細と塀跡の規模

村教育委員会は、関西大学との共同調査として、昨年7月から甘樫丘の東側に位置するエリア、具体的には前年度の調査地の南側約180平方メートルを対象に発掘作業を実施しました。その結果、7世紀後半に造られたと考えられる1辺約1.2メートルの方形の柱穴が5カ所確認されました。これらは塀の西南角に相当し、前年度までの調査成果と合わせて分析すると、南北15メートル以上、東西7.2メートル以上の敷地を区画する塀が存在していたことが明らかになりました。

甘樫丘の歴史的背景と防衛拠点としての役割

甘樫丘は、飛鳥時代に歴代天皇の宮殿が集中するエリアの西側に位置し、飛鳥の中枢を守る重要な防衛拠点であったとされています。『日本書紀』の記述によれば、飛鳥時代前半に権勢を誇った蘇我蝦夷とその息子・入鹿がこの地に邸宅を構えていましたが、645年に起きた乙巳の変によって焼き払われたと伝えられています。今回の発見は、その後の時代、特に天武・持統朝において、甘樫丘が再び開発され、行政や居住の場として活用されていたことを示唆する貴重な証拠となり得ます。

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専門家の見解と今後の調査への期待

考古学の専門家は、この塀跡の発見を踏まえ、以下の点を強調しています。

  • 塀が囲んでいた施設は、食料や物資を保管する小規模な倉庫、いわゆる「コメ蔵」の可能性が高い。
  • 天武・持統朝は中央集権的な律令制度の確立を目指した時期であり、官僚層の住宅や業務施設が甘樫丘に配置されていたかもしれない。
  • この発見は、飛鳥時代を通じた甘樫丘の開発プロセスを解明する上で、重要な手がかりを提供する。

村教育委員会と関西大学は、今後も継続的な調査を進め、塀跡の詳細な構造や周辺の遺構をさらに解明していく方針です。これにより、飛鳥時代の政治・社会構造や、甘樫丘の役割に関する理解が深まることが期待されています。この発掘成果は、日本の古代史研究に新たな光を当て、歴史愛好家や研究者の関心を集め続けるでしょう。

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