4000年続いた奇跡の環境「真脇遺跡」、自然共生の縄文楽園…北陸の「環状木柱列」の謎に迫る
4000年続く奇跡の環境「真脇遺跡」、縄文の共生知恵を探る (14.03.2026)

4000年続いた奇跡の環境「真脇遺跡」、自然共生の縄文楽園

豊かな山や海の恵みを享受し、独特の景観と文化を形成してきた「能登の里山里海」。この地域は2011年、日本で初めて世界農業遺産に認定された。自然と共生した能登の暮らしの原点は、縄文時代にまで遡ることができる。その象徴が、石川県能登町に位置する真脇遺跡である。

全国に類を見ない「長期集落」の秘密

丘陵に沿った細い山道を車で上がると、富山湾を一望できる真脇遺跡に到着する。北陸を代表する縄文時代の集落跡として知られるこの遺跡では、昨年10月、当時の暮らしを再現する催しが行われた。子供たちが火おこしに挑戦する様子に、真脇遺跡縄文館の高田秀樹館長(65)が優しく指導していた。

高田館長は、最初の発掘となる1982年からこの遺跡に関わってきた考古学の「生き字引」である。特殊な石材の産地を特定するなど、能登の遺跡全般に精通している。

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真脇遺跡は今から約6000年~2300年前の約4000年間、縄文人の営みが継続した稀有な場所だ。世界遺産の三内丸山遺跡(青森市)でも定住期間は約1700年とされるため、全国にも類を見ない「長期集落」として国史跡に指定されている。

「三方が丘に囲まれ、冬の季節風があたらない。コナラやクリなどの利用可能な林に加え、南側は湾に面していて水産資源も豊富。これだけ好条件があれば、よその村に移住する必要もないわいね」

高田館長はこう語り、真脇遺跡を生み出した「奇跡の環境」を強調する。集落のリーダーと見られる人物の墓からは漆塗りの装身具が出土し、魔よけ用とみられる土製の仮面も発見された。漆文化や祭りなど、縄文の伝統は現代の能登文化にも連綿と受け継がれているようだ。

イルカ漁の「拠点集落」としての役割

2023年には、同遺跡の40年以上にわたる調査の総括報告書が刊行され、真脇の縄文人の実態が詳細に明らかになってきた。遺跡からは、シカ、イノシシ、サメ、エイなどの豊富な食料の痕跡が確認されている。

特に注目されたのが、縄文時代前期末(約5500年前)を中心とする地層で出土した280頭以上のイルカの骨である。イルカは春から初夏にかけ、魚やイカの群れを追って能登半島近海を回遊する。肉は食料となり、油も遠隔地との交易品として高い利用価値があった。

縄文時代を専門とする泉拓良・京都大名誉教授は、イルカの捕獲と解体・分配には大勢の人手が必要だったと指摘する。真脇遺跡は周囲の村の人々がイルカ漁という共通の目的で集まる「拠点集落」として機能した可能性が高い。イルカの骨に交じって見つかった約2メートル50の「彫刻木柱」は、イルカの霊送りの祭具とする説もある。

環状木柱列:集団統合の象徴か

イルカの骨は縄文時代中期以降減少したが、同遺跡には人が集まり続けた。泉名誉教授は、交易の拠点として物資や情報が集まった真脇が、別の資源交換の場として機能したと推測する。

縄文時代晩期(約2800年前)には、新たなシンボルが誕生した。半分に割ったクリの丸太を柱とし、円形に並べた「環状木柱列」である。チカモリ遺跡(金沢市)や御経塚遺跡(石川県野々市市)、桜町遺跡(富山県小矢部市)でも同様の柱列が見つかっており、北陸の縄文遺跡に特徴的な遺構として知られている。

昨年87歳で死去した縄文時代の大家・小林達雄氏は、東北の縄文遺跡で多く見られる「ストーンサークル」と対比し、興味深い説を披露している。縄文晩期の北陸が、西日本に入ってきた弥生文化の動きを知り、縄文回帰運動の一環としてウッドサークル建築に励んだ可能性を示唆したのだ。

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高田館長も「直径1メートルを超えるようなクリの木を伐採して立てるので、普通の家の柱ではない」と語る。半裁した柱が10本の場合、元のクリの木は5本となる。「常日頃一緒に仕事している五つの村がそれぞれ木を持ち寄り、集団統合の象徴にしたのではないか」と推測し、北陸以外に同様の木柱列がないか分析を続けている。

震度6強の揺れに耐えた縄文小屋の知恵

真脇遺跡内には復元施設の「縄文小屋」がある。この小屋は、遺跡で発見された日本最古とされる「ほぞ」加工の角材をもとに復元された。2年前の能登半島地震では、遺跡内の収蔵庫の土器が破損し、道路の一部が陥没したが、縄文小屋は震度6強の揺れに耐え、原形をとどめた。

小屋の復元に関わった山梨県甲州市の雨宮国広さん(56)は、地震後にお見舞いの電話をした際、高田館長から「縄文小屋、何ともなかったよ」と言われて驚いたという。「コンクリートの道路が壊れ、縄文小屋が無傷だったのはなぜか。現代技術一辺倒の考えを見直すきっかけになれば」と語る。

縄文人の知恵から学ぶ持続可能性

昨年10月、石川県穴水町の寺院で行われた能登の将来についての意見交換会で、高田館長は地震後の率直な思いを語った。

「能登では何かあっても家庭菜園から野菜が取れる。海のものも飲み水も手に入る。地震の後でも、能登の人は自給自足で何とかやっていると、ボランティアに驚かれることもある。都会でもし災害が起きたら、そういうことはほとんど期待できないのではないか」

高田館長は3月で長年勤めた縄文館を退くが、地震を機に見直された能登の知恵の発信を続けていくつもりだ。4000年にわたる持続可能な暮らしの痕跡は、現代社会が自然と共生するための貴重なヒントを提供している。