不完全だからこそ魅力的な「人対人」の対局 将棋棋士でAI研究者の谷合廣紀さん
不完全だからこそ魅力的な「人対人」の対局 谷合廣紀さん

プロ棋士として活躍する谷合廣紀さん(32)=五段=は、現役の東京大大学院生として将棋の人工知能(AI)開発に携わる研究者の一面も持つ。プロ棋士が最初にAIに負けてから10年以上がたった。AI技術の最先端を見つめてきた谷合さんに、研究の現在地や、人間とAIが共存する将棋界の展望を聞いた。(高木健吾)

プロ棋士でありAI研究者という異色のキャリア

-プロ棋士で、AI研究者。聞き慣れない二つの肩書の組み合わせです。

私が大学に入学した2012年、プロ棋士とコンピューターが戦う「電王戦」が始まりました。結果は人間の負け。将棋界では既に「コンピューターの方が強い」と言われていたので、驚きはそれほどありませんでしたが、「いよいよAIの実力が世間に示された」という印象を受けました。

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当時はプロ棋士になる一歩手前の「三段リーグ」にいました。人間がコンピューターに追い抜かれていく時代を前に、自分はどの立ち位置にいるべきなのか。進路はプロ棋士一本ではなく、別の軸足を置いておきたい。数学や物理といった理系科目が得意だったこともあり、コンピューター科学の道に進みました。

AI研究の現在地と課題

-それから15年ほどがたち、将棋界のAIもめざましい進歩を遂げています。研究の現在地は。

最新の将棋AIでは数千万という局面を瞬時に読むことができると言われています。AIが開発した戦法もいくつも出ています。ハードウエア、ソフトウエアともに、ものすごい勢いで精度が進歩し、もう人間では競い合うことができません。1年前に開発されたAIと今のAIを戦わせれば、6~7割は今のAIが勝つと言われるほどの成長スピードです。しかも、まだ強くなる余地があります。

一方で、純粋にAIの棋力を上げるという点では、既に十分強く、何か画期的でブレークスルーを起こすような方法は出てきにくいのが現状です。地道な努力で少しずつ精度を上げることはできても、学術的な意義づけは難しい。もっと実用性を上げる方へのシフトは考えています。

AIの評価値と人間の対局の違い

-棋士として、自身が研究するAIの言うことをどれほど信じるのですか。

実は、私が得意とする振り飛車(初形で右側にある飛車を左側に動かしてから戦う戦法)の一つ、四間(しけん)飛車という戦法は、AIにはあまり評価されません。(形勢の優劣を数値で示した)評価値ではマイナス200点ぐらい。つまり、スタート時点から既に「やや悪い」という評価です。しかし私は甘んじて受け入れ、そこからどう逆転するかをAIで研究しています。

なぜかというと、四間飛車は将棋界全体でも指す人数がわずかで、相手は対策をあまり練らない。すると、こちらだけが相手を知った状態で挑める。マイノリティー(少数派)ゆえに成り立つ戦術です。

AIの登場で、最初から優秀とされる戦法はかなり深く研究されるようになっています。逆に人気ではない戦法だからこそ、あえて狙う。AIにどっぷり頼りつつも、最後は経験値の差でひっくり返せるというのが私の戦い方です。

-人間同士の対局では、AIは必ずしも万能ではないのでしょうか。

例えば終盤の局面で30手ぐらいかかる詰み筋があるとします。AIは簡単に読み切るので、「勝率100%」と評価しますが、それは「そこからAIが指せば何%勝てるか」を示した値に過ぎません。持ち時間が少ない状況で、人間が正確に長手数を読み切るのがほぼ不可能だということは、直感的に分かると思います。AIの出す評価値と実際の人間の勝率にはある程度の強い相関関係があるものの、必ずしも合致はしません。

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棋士は「AIが勝率80%と言ったのに、なぜ負けたんだ」みたいなことも言われてしまいます。「人間だったらどれくらい正確に指せるか」は、今の評価値という数字だけでは表現できない部分です。持ち時間など局面の複雑さを踏まえた評価軸、数値をどう提示するか。今後のAIの課題だと思っていますし、今はそうした研究にも取り組んでいます。

将棋の面白さとAIの影響

-研究者の立場で将棋を見ると、ゲームとしての面白さはどこにありますか。

似たような形のゲームに囲碁やチェスがありますが、特に将棋は「運の良さ」が勝敗に絡まない上に、終盤に向かうにつれて逆転が多いゲームと言えます。勝負がどう転ぶか、最後まで分からない。それは結局、指すのが人間だからです。人間同士が指せば、途中で間違いも起こり得ますし、多少の優勢や劣勢はひっくり返ってしまいます。

これが上位層のAI同士だと、先手がかなり優勢のまま進み、8割くらい勝ちます。互いに間違えないので、1手先に指せる先手のわずかなメリットが大きくなるのです。人間だと先手勝率が5割2分ほど。そこがAI将棋との大きな違いではないでしょうか。

-AIの台頭によって、将棋界の構図が大きく変わる可能性はあるのでしょうか。

AIから学習する以上、戦法のはやり廃りなど多少は影響されるでしょうし、先手の優勢も差が広がるかもしれない。それでも、人間が将棋を指すことの意味は変わらないはずです。事前の準備や研究の段階ではいくらでもAIを使えますが、対局となれば「人対人」。AIにも不可侵な領域です。人間同士の対局はAIのように完璧ではないからこそ、魅力的に映るのだと思います。

というのも、人間が指す手には、棋士の人柄、つまり「過去にこんな苦労を乗り越えてきた」という部分が出るものです。そこにドラマが生まれ、ファンが付く。

例えば、AIが何億手と考えても思い付かなかった一手を藤井聡太さんが指せば盛り上がるじゃないですか。陸上の100メートル走で、人間がどこまでタイムを縮められるかに挑戦しているのと同じ。「人間の限界はどこか」というものを見たいという思いがあるでしょう。

これからの将棋界とAIの共存

-研究者と棋士。二つの肩書を持つ立場として、これからの将棋界にどのような展望を持っていますか。

AIが評価値を出せるようになったことで、局面の状況が分かりやすくなりました。観戦専門の将棋ファン、いわゆる「観(み)る将」が増え、将棋の裾野が広がると好循環です。

例えば、いま考えているのは棋譜に対してAIが自動でコメントを生成する機能を実装することです。人間だけでは手が足りず、全ての対局を拾い切れないのは惜しい。もうすぐAIのプログラムすら、人間が書かなくて済む時代が来ます。「将棋をエンターテインメントとして面白いものにどう見せるか」という部分にAIが使われると、AIと将棋の「より良い共存」になると思います。

たにあい・ひろき 1994年、東京都中央区出身。6歳ごろ、祖父の影響で将棋を始める。2006年、奨励会入会。東京大工学部電気電子工学科卒。同大大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻博士課程在籍中。第66回奨励会三段リーグ(19~20年)で14勝4敗の成績を残し、20年4月に四段昇段。東大出身者として史上2人目の棋士となる。25年五段。中座真八段門下。22年の「世界コンピュータ将棋選手権」に自作の将棋ソフトで参加し、独創賞。吉本興業に所属し、24年に漫才コンテスト「M-1グランプリ」にも出場した。著書に、藤井聡太六冠の将棋をAIで分析した「AI解析から読み解く藤井聡太の選択」(マイナビ出版)。