新中学生や新高校生が身体の成長を見越してツーサイズほど大きな制服を着ること。卒業式に第二ボタンを贈る文化。ポケットの中で手をこっそりつなぐこと。これらには名前がなくても、誰もが経験したことがある。
名前のない現象を集めた辞典
『名無辞典 決定版』(シモムラ著、朝日新聞出版、1650円)は、そうした「名前がないけれど見たことや経験したことがある現象」を列挙したユニークな辞典だ。例えば「ど忘れ」の対義語は何だろう。「すっかり忘れていたことを急に思い出すこと」では長すぎる。本書はそんな言葉にぴったりな名前を与えたくなる衝動を刺激する。
名前をつけることの功罪
一方で、名前をつけることで失われる情緒もある。例えば「壁ドン」は、名前がついたことで少女漫画的シチュエーションとして典型化・陳腐化されてしまった。本書は名前のないものをそのまま並べることで、世界を言葉で切り分けた瞬間に失われるものをすくい上げ、世界に残された「余白」とたわむれている。
言葉の世界とナマの世界の往復
その過程で、すでに存在する言葉を振り返り「なるほど、ぴったりな言葉だな」とうなることもある。『名無辞典』は「ナマの世界」と「言葉の世界」を行きつ戻りつしながら、いつまでも遊んでいられる楽しい一冊だ。
書評者プロフィール
新川帆立(しんかわ・ほたて)は1991年生まれの作家。2021年に『元彼の遺言状』でデビューし、2025年に『女の国会』で山本周五郎賞を受賞。『目には目を』など多数の作品を執筆している。



