店主の死で消えかけた伝統の味、住民の記憶を頼りに復活へ
山口市阿知須地域で古くから親しまれてきた特産品「あじすの寒漬」。この地元の味が、販売店の店主が亡くなったことで失われそうになった危機を乗り越え、農産加工販売会社「あぐりてらす阿知須」の長尾智美社長(49)の手によって見事に復活を果たした。地元住民の声を聞きながら試行錯誤を重ね、たどり着いた味は、農林水産省が推進する「ディスカバー農山漁村の宝」に選定されるなど、県内外で高い評価を得ている。
乳がんとの闘いを乗り越え、夫の実家で農業を継承
長尾智美さんは新潟県出身で、山口市阿知須出身の夫・誠大さん(49)と出会い結婚。家族で北海道に移住した後、娘の小学校入学を控えた時期に自身の乳がんが判明した。命の危機を感じた夫妻は、2010年に誠大さんの実家がある阿知須へ移住を決断。実家は兼業農家として水稲や大根を栽培しており、夫婦で農業を引き継ぐことになった。
農作業は初めての経験で、抗がん剤治療を受けながらの重労働だった。髪の毛が全て抜け、暑い日にはウィッグを避けタオルを巻いて汗だくで働く日々もあったという。幸い、がんの治療は1年で終えることができ、現在では「環境がストレスフリーな阿知須に来て、年々元気になっている」と笑顔で語る。
店主の死でレシピ消失、地元の味を守る挑戦が始まる
阿知須への移住とほぼ同時期に、寒漬を販売していた地元商店の店主が亡くなった。材料となる大根作りをしていた関係から、地域の人々から「県外へのお土産としても人気だった寒漬を続けてほしい」と相談を受けた。しかし、突然のことでレシピは残っていなかった。
「しょうゆ、みりん、砂糖だけ」と簡単に言われた寒漬だが、分量によって味が大きく変わる。これまで無添加の辛口しょうゆを使用していたが、寒漬には甘口のしょうゆが必要など、違いも多かった。2021年に「あぐりてらす阿知須」を設立する前、2020年11月に寒漬の販売を開始したが、当初は無添加の辛口しょうゆを使っていたため、「地元の味ではない」と受け入れられなかった。
住民の記憶を手がかりに、真の「地元の味」を再現
「無添加であることより、地元に愛される寒漬を作りたい」。長尾さんはこだわりを捨て、地元で生産される甘口の「礒金醸造」のしょうゆを使用することを決断。元々の味を覚えていた道の駅の店員や近隣住民から、辛さや歯ごたえなどのアドバイスを聞きながら改良を重ね、2023年に現在の味にたどり着いた。
「これが地元の味だ」と認められ、生産していた大根6000本分の寒漬は完売。今では1万2000本分まで増産している。阿知須地域で寒漬を生産するのは、個人的に作っている人を除くと「あぐりてらす阿知須」だけとなり、貴重な地元産業としての役割を担っている。
農林水産省の「宝」に選定、全国への広がりに期待
この取り組みが評価され、昨年12月には農林水産省の「ディスカバー農山漁村の宝」で「特別賞・郷土のお宝味覚牽引賞」に選ばれた。長尾さんは「担い手が少ない地元産業だけど、子どもたちが食べ続けられる環境を守り、愛される商品を全国に広めていきたい」と意気込む。
「あじすの寒漬」はごま味と唐辛子味の2種類があり、山口市の道の駅「きららあじす」やECサイトで購入可能。長尾さんの趣味は旅行と釣りで、全国各地を回った経験を活かし、地域の食文化を守り続ける決意だ。



