旧高島第七小学校の「棟下式」、卒業生1500人が集い別れ タワマン建設で47年の歴史に幕
東京都板橋区の高島平団地の一部を賃貸タワーマンションに建て替える再開発計画に伴い、今夏以降に解体される旧高島第七小学校で、14日に「棟下式(むねおろしき)」が執り行われた。卒業生や元職員、地域住民ら約1500人が駆けつけ、47年間地域を見守ってきた校舎との別れを胸に刻んだ。懐かしさと寂しさ、そして未来への期待が入り混じった「最後の日」の模様を詳細にリポートする。
閉校まで通った飯島美月さんの思い出と期待
この棟下式は、板橋区と大学の有識者らで構成される「アーバンデザインセンター高島平」が共催し、都市再生機構(UR)が後援した。校舎の昇降口では、近隣の徳丸北野神社の神職2人による清め祓いの儀式が行われ、その後、青い法被を着た区職員や参加者たちが菓子をまく伝統的な行事が執り行われた。
菓子をまいたシンガー・ソングライターの飯島美月さん(30)=板橋区在住=は、小学5年生で閉校するまで高島第七小学校に通い続けた。飯島さんは当時を振り返り、「児童数が少なかったため、特別支援学級の子どもたちも一緒に学ぶ環境でした。高七小の子どもたちは皆、思いやりに溢れていました」と語る。解体工事を含むまちづくりについては、「高七小が新たな形で生まれ変わり、次の世代に引き継がれることが嬉しいです。高島平は一人暮らしの高齢者が多い地域ですので、高齢者の生活を第一に考えた計画を期待しています」と述べ、再開発への期待を込めた。
卒業生たちの交流とタワマンへの複雑な思い
2033年以降、URがタワーマンション1棟を建設した後、高島平団地33街区(7棟1955戸)の解体が予定されている。33街区に一人で暮らす佐野逸弥さん(85)は、校庭で旧友たちとテーブルを囲み、おしゃべりを楽しんでいた。佐野さんは「新しいタワマンに住むことも考えていますが、年齢的なこともあり、実行できるかどうかは分かりません」と話す。タワマンの家賃は、着工が予定される2029年以降に明らかになるという。
同じテーブルにいた三船春枝さん(84)は、高島第七小学校で6年間、給食調理と受付業務に従事した。三船さんは「和気あいあいとした学校だったからこそ、卒業生同士の交流が今でも続いています。一抹の寂しさはありますね」と感慨深げに語る。実際、誘い合わせた卒業生7人が屋上のプールを訪れ、「懐かしい!」と声を上げる光景も見られた。三船さんは高島第七小学校の近くの分譲団地に住んでおり、タワマン建設については「日照への影響など不安要素があるため、あまり高層ではない方が良いと願っています」と述べた。
地域一体の企画と未来へのメッセージ
別れの日には、校舎の玄関ガラスに来場者がアーティストと協力して水性クレヨンで絵を描くなど、20以上の企画が地域内外から持ち寄られた。板橋区の担当者は「お年寄りから子どもまで、多くの方の笑顔が見られ、素晴らしい光景でした」と振り返った。
最後を飾ったのは、地域の7小学校の児童と高島第七小学校の卒業生が描いた「未来の高島平にやってきた仲間たち」のイラストを校舎に投影するプロジェクションマッピングだ。この企画を手掛けた高島第七小学校卒業生のクリエーター、大金浩二さん(46)=板橋区在住=は「高島平が大好きなので、高七小への恩返しの気持ちで企画しました。家族のような団地の一体感がこの街の魅力です。タワマンが建っても、街の一体感を大切にしてほしい」と力強く語った。
高島第七小学校の歴史と役割
高島第七小学校は、近隣の高島第二小学校の児童急増に対応するため、板橋区が日本住宅公団(現UR)から土地約1万2000平方メートルを購入し、1979年に開校した。全校児童数は1982年に1059人でピークを迎えた後、減少し、2006年には96人となった。2007年に閉校し、47年の歴史に幕を下ろした。卒業生は総計2354人に上る。閉校後、校舎は高島平まつりや新型コロナウイルス検査のPCRセンターなどとして活用され、校庭は小中学生らに開放されてきた。今回の棟下式は、そんな長い歴史に区切りをつける象徴的な一日となった。



