愛知「尾張の繊維業界のプライドが残した」名鉄尾西線終着駅・玉ノ井駅、1世紀の歴史をたどる
尾張の繊維業界のプライドが残した名鉄尾西線終着駅の歴史

名鉄一宮駅から住宅街を縫うように走ることわずか9分。終点・玉ノ井駅(一宮市木曽川町)にゆっくりと赤い列車が滑り込む。周囲は静かだが、かつては繊維会社が軒を連ねた。駅から徒歩2分の葛利毛織の4代目社長葛谷聰さん(52)は「遠方から来てもらうにもアクセスがいい。小さな駅だが欠かせぬ存在です」と語る。1912年創業の葛利毛織にとって、2年後に開業したこの駅は100年来の相棒だ。

戦争による休止と復活への熱意

もともとは、新一宮(現名鉄一宮)-木曽川港の途中駅だった。戦前は綿や毛織物など多くの繊維製品が貨物車両で運ばれたが、第2次世界大戦の激化により44年に奥町-木曽川港が休止に。金属供出でレールも撤去された。復活を後押ししたのは地元の熱意だった。旧木曽川町史には「尾西織物地帯の一角を占め有数な機業地である玉ノ井、里小牧など木曽川町の人々は、尾西線の復活を強く望んだ」と記されている。葛谷さんの祖父で、葛利毛織2代目の利彦さんも近所の経営者らと名鉄にたびたび陳情に出かけた。「尾西線は繊維業界のプライドが残したと聞いている」と葛谷さん。結局、奥町-玉ノ井(1・5キロ)のみ再開され、51年冬、待望の列車が7年ぶりに玉ノ井駅に現れた。

好景気とともに賑わった駅

好景気に沸いた50年代、玉ノ井には早朝から晩までひっきりなしに織機のごう音が響いていた。葛利毛織の社員寮でも集団就職した100人以上が暮らし、週末の玉ノ井駅は一宮や岐阜に繰り出す若い工員でごった返した。当時の駅は白い屋根のついた小さなホームで、切符は駅前のたばこ店で売っていた。15歳で葛利毛織に就職した櫻井光義さん(84)にとって尾西線は「青春の路線」。当時の繊維会社はそれぞれ野球チームを持っていた。櫻井さんはスラッガーとして名をはせ、休日は尾西線にゆられて一宮の球場へ出かけた。「仕事と野球ざんまい。若かったからちっとも疲れなかった」。84歳の今も「居心地が良いから」と、思い出のつまった工場で働く。

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現在の玉ノ井駅

現在、玉ノ井周辺で稼働する繊維工場は大幅に減り、葛利毛織を含め2軒ほど。駅は2007年に建て替えられ、自動券売機と自動改札が設置された。昔より小さく、だが力強く響く織機の音に寄り添うように、ゴトンゴトンと列車がのんびり走る。名鉄尾西線は現在の名鉄路線では最古。1898年に弥富-津島が、1914年に玉ノ井駅を含む新一宮-木曽川橋(8.7キロ)が開通。さらに4年後には路線を木曽川の水運と接続させるため、木曽川港(一宮市北方町)まで延伸したこともあった。現在は津島-名鉄一宮、名鉄一宮-玉ノ井、津島-弥富の3区間に分かれる。

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