戦火に揺れるイランの文化遺産 考古学者たちの不屈の挑戦
米国とイスラエルによるイラン攻撃の影響で、古代オリエントの一角を担うイランの数々の歴史的遺跡への被害が深刻に懸念されている。世界遺産に登録された「ゴレスタン宮殿」や「古都イスファハンの歴史的寺院と宮殿」など、貴重な文化財が戦禍によって損傷している現実が国際的に報告されている。
「危険な国」というイメージの払拭を目指して
東京文化財研究所文化遺産国際協力センター保存計画研究室長の安倍雅史氏は、「イランの素晴らしい遺跡と悠久の歴史を多くの人に知ってもらい、『怖くて危険な、謎のベールに包まれた国』という偏った印象を根本から払拭したい」と熱く語る。同氏は、この地域の歴史が世界全体にとって極めて重要であると確信しており、理解を深めることが平和への第一歩になると強調する。
バーレーン調査への影響と中東情勢の緊迫化
安倍氏は長年にわたり、イランをはじめとする中東地域の遺跡調査に携わってきた。来年にも予定されているバーレーンでの調査について、「バーレーン当局は観光振興に力を入れており、新しい博物館の建設も計画されています。しかし、中東情勢の緊迫化によって『中東=危険』というネガティブなイメージが広がることを、現地関係者は非常に恐れています」と懸念を表明する。
戦闘の長期化は文化財保護に深刻な影響を及ぼしている。政府系機関を標的とした攻撃の余波で近隣の文化遺産が被害を受け、博物館の貴重な資料は避難措置が取られているものの、状況は依然として予断を許さない。
『古代オリエントの遺跡と文明』で伝えるイランの真実
安倍氏はこのたび、著書『古代オリエントの遺跡と文明』(吉川弘文館)を刊行した。同書では、イランの豊かな歴史を分かりやすく紹介し、考古学者たちの奮闘を描いている。
イランでは紀元前3500年頃のメソポタミア文明の影響を受け、エラム文明が花開いた後、アケメネス朝のキュロス2世が古代オリエントを統一。その後、セレウコス朝、パルティア、ササン朝などの王朝が興亡を繰り返し、7世紀半ばにイスラム勢力の台頭によって古代史に幕を下ろした。
近年の研究では通説の見直しが進んでいる。例えば、歴史家ヘロドトスが記したアケメネス朝以前の大国メディアは実際には存在せず、小さな部族集団の連合体だった可能性が指摘されている。また、ムギ作農耕の起源についても、従来の地中海沿岸説に加え、イラン・イラク国境のザグロス山脈での栽培痕跡から「多地域起源説」を支持する研究者が増えている。
日本との深い縁と考古学界の「黄金期」から「停滞期」へ
イランの考古学界は日本との関係も深い。1950~70年代には欧米で学んだイラン人研究者が活躍し、国内外の調査団が50隊に達する「黄金期」を迎えた。しかし、1979年のイラン・イスラム革命と1980年代のイラン・イラク戦争を機に「停滞期」に突入。政治的緊張の高まりで海外隊の発掘が困難になり、近年の核開発問題や女性の人権問題、米国・イスライスとの軍事衝突によって状況はさらに悪化している。
困難を乗り越える考古学者たちの物語
安倍氏の著書では、「困難な状況でもイランの発掘に人生を捧げた考古学者たちの物語」が紹介されている。襲撃者から逃れるように身を寄せ合った状態で発見された「ハッサンルの恋人」と呼ばれる2体の人骨、革命で祖国を追われた老考古学者が発見した未発見の都市「ジーロフト文明」の痕跡など、数々の感動的なエピソードが綴られている。
近年では、アケメネス朝の王都ペルセポリス近郊で、ベルリンのペルガモン博物館所蔵のイシュタル門と「瓜二つ」の遺構が発見された。これは、キュロス2世が新バビロニアの征服を誇示するために模倣した門かもしれないと推測されている。
バーレーンでの発掘成果と「研究をあきらめない」信念
安倍氏自身も古代オリエントの考古学に魅せられ、学生時代から中東各地で発掘調査を続けてきた。近年は世界遺産に登録されたバーレーンの古墳群調査で成果を挙げ、紀元前2050~1700年頃にペルシャ湾の海上交易を担ったディルムン王国の最古の王墓を発見している。
2018年からはイランで「最果ての交易拠点」の発掘を進めていたが、現在は調査の見通しが立たない状況に歯がゆさを感じている。それでも、戦禍の中からイラン人考古学者からパルティア時代の巨大墓地発見の報告が届いたことに驚きと希望を抱いている。
「どんな状況下でも『決して研究をあきらめない』という現地の考古学者たちの信念には、学ぶべきものがたくさんあります。研究者としてできることは限られているかもしれませんが、学問に対する真摯な姿勢が、世界の分断化に歯止めをかける一助になると信じています」と安倍氏は力強く語る。戦火の中でも文化遺産の保護と研究に取り組む人々の姿は、人類の知の継承にとってかけがえのない希望の光となっている。



