99歳が描くシベリア抑留の記憶、画集で戦友を鎮魂 広島の元兵士が自費出版
99歳が描くシベリア抑留の記憶、画集で戦友を鎮魂

99歳の画家がシベリア抑留の記憶を画集に 戦友を悼み平和を願う

第二次世界大戦中に満州(現中国東北部)で従軍し、終戦後は旧ソ連の捕虜として約2年間シベリアに抑留された広島県三原市の古谷巌さん(99歳)が、2冊目の作品集「シベリア鎮魂の譜~シベリア回想記2」を自費出版しました。40年にわたり、厳寒や飢餓、重労働、病で命を落とした戦友を悼んで油絵を描き続け、100歳を目前に長男の秀明さん(72歳)と協力して文章を練り上げました。絵と文で現地の実態を鮮烈に伝える試みです。

「天国のような生活」の幻想からシベリア抑留へ

軍国少年だった巌さんは1941年2月、家族の反対を押し切って「満蒙開拓青少年義勇軍」に入り、15歳で満州に渡りました。一時帰国した青年から「天国のような生活ができる」と聞いたことが動機でした。しかし、実際は「宣伝と実際は大違い」の毎日でした。「お国のために」と4年間軍事教練に耐え、農作業にも励み、1945年5月に関東軍の歩兵部隊へ入りました。

終戦後の同年8月、中国吉林省でソ連軍から武装解除を受け、貨物列車にひと月押し込められ、約3000キロ西のシベリア・ビースクへ送られました。そこで2度の冬を越し、1947年5月、ナホトカから京都・舞鶴へ復員しました。

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油絵で記憶と向き合う決意

会社員として定年退職後、趣味の油絵教室に通い始めた巌さんは、当初は風景や静物を描いていました。しかし、講師の「シベリアでの体験を生涯のテーマとしては」との言葉に、胸の奥にしまっていた半世紀近く前の体験と向き合うことを決めました。

巌さんは当時の状況をこう語ります。「1日2回の食事は、黒パンと塩水のようなスープにジャガイモが2、3切れ。栄養失調のまま、石炭の荷降ろしなどをやらされてみな顔は真っ黒。宿舎に暖房はなく、夜、数十メートル離れたトイレに立つたびに扉の開閉で室温が下がる。朝目覚めると、横にいた戦友が氷のように冷たくなっていたこともありました。」

160点の作品で表現、家族と共に制作

常に死と隣り合わせだった日々をこれまでに約160点の作品で表現し、1992年に66歳で初の個展を開きました。2003年には作品集「シベリア回想記」を自費出版。地元の公民館などでも個展を重ね、妻の恒乎さんがワープロで説明文を打ち、秀明さんも運転手を担いました。

恒乎さんが亡くなった昨年5月以降、寂しさを募らせる巌さんを見かね、秀明さんが2冊目の制作を提案しました。今回は「敗戦の日」から「生還」までの62点を厳選。巌さんが書きためた文章をもとに、秀明さんが磨きをかけ、説明文としました。

画集に込められた抑留の実態

画集には、ソ連兵との初対面や、手のひらに落書きしてスパイ容疑をかけられたり、収容所を囲む板塀の下に穴を掘り隣の畑からジャガイモを盗んだりしたこと、労働への適応性を見極める健康診断など、抑留の実態を伝える記録が次々と収められています。

300部を作成し、三原市内の図書館や「帰還者たちの記憶ミュージアム」(東京)、全国強制抑留者協会(同)にも寄贈しました。秀明さんは「初めて聞いた話も多かった。親父が元気なうちにまとめられてよかった」と語ります。

未来の平和への願い

巌さんは「満州で4年間体を鍛えたことが、生き延びられた理由かもしれない」と言いますが、凍傷により左足第2指の爪は二度と生えなくなりました。「この画集があの過酷な日々を振り返り、未来の平和を考えるきっかけになれば」と話しています。99歳の画家の記憶は、戦争の悲惨さと平和の尊さを静かに訴えかけています。

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