原爆で奪われた301人の未来 広島第一県女の記憶を伝える企画展が開幕
原爆で奪われた301人の未来 第一県女の記憶展 (02.03.2026)

原爆で奪われた若き命の記憶を後世に伝える企画展が開幕

広島県立広島第一高等女学校(第一県女、現・県立広島皆実高等学校)で、原爆投下により教職員と生徒合わせて301人が犠牲となった悲劇の記憶を伝える企画展が、3月1日、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で始まりました。この展示は、生き残った生徒や遺族らの体験記、当時の写真、遺品などを通じて、未来を奪われた若者たちの無念を思い起こさせ、平和の尊さを感じてもらうことを目的としています。

戦時動員中の生徒たちが直面した惨劇

企画展は「受け継ぎ、語り継ぐ―原爆と第一県女―」と題され、初めて第一県女をテーマにしたものです。第二次世界大戦中、全国の軍需工場などでは10代の生徒たちが動員され、第一県女の生徒も1945年8月6日、多くが広島市内での作業中に被爆しました。特に、爆心地近くで建物疎開作業に従事していた1年生223人は全員が死亡するという痛ましい事態が発生しました。また、生徒や教職員がいた校舎も爆風で破壊され、教育の場が一瞬で失われたのです。

会場では、被爆前後の第一県女の歴史を、当時の写真付きパネルや大型モニターの映像(約20分)で詳細に紹介しています。展示品には、被爆した生徒が着ていた黒焦げの制服の写真や、動員中の生徒が実際に作った「野戦蚊帳」などが並び、戦時下の過酷な状況を物語っています。さらに、生き残った生徒や遺族ら11人がつづった被爆体験記の複製品も展示され、来館者が実際に読むことができるようになっています。

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体験記から浮かび上がる戦争のむごさと復興への歩み

展示品の中には、被爆当時2年生だった河田和子さん(94歳、広島市南区)が記した体験記の原本も含まれています。河田さんは動員中に市内で被爆し、父親や親戚を亡くしました。当時13歳だった彼女は、体験記で「被災者が『水を、水を』と求めながら皮膚をぶら下げて焼けただれた裸身で私たちと一緒に歩いた」と振り返り、戦争の惨状を生々しく描写しています。また、「級友や先生も一度に亡くし、心に大きな傷を負った」と語り、長年被爆体験を語ることを避けてきたものの、約10年前から「語り継がなければ」と広島皆実高等学校などで講演活動を続けています。

河田さんは「あの日、希望を持った多くの子どもたちが一瞬で命を落とした。机に向かって勉強したり、好きなスポーツをしたり。当たり前の日常がいかに尊いか、次世代を生きる人たちには感じ取ってほしい」と訴え、平和の大切さを強調しています。

企画展では、第一県女の復興の歴史も紹介されており、戦後、生徒たちが前向きに勉学に励む思いをつづった「広島第一県女新聞」も読むことができます。同館の学芸員は「原爆による喪失から立ち上がった生徒たちの姿も心を打つ。展示を見て平和の問題を自分のこととして考えてほしい」と期待を込めています。

来館者の反響と展示の詳細

愛媛県砥部町の大学3年生(21歳)は展示を見て、「リアルな言葉に触れ、戦争のむごさを改めて痛感した」と感想を述べ、若い世代にも深い印象を与えています。この企画展は来年2月28日まで開催され、入場は無料です。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、多くの人々に訪れ、平和の尊さを考える機会として活用されることを願っています。

展示を通じて、原爆で奪われた301人の未来と、その記憶を語り継ぐ重要性が浮き彫りになり、戦争の悲劇を繰り返さないためのメッセージが強く発信されています。

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