関西発のニュースとして、大阪の作家・田辺聖子さんの短編集『春情蛸の足』(1987年刊、講談社文庫)を取り上げる。関西人の心身に染みた普段使いの食べ物が、人生のおかしみと男女のあわれを醸し出す作品群だ。今回は番外編として、大阪が誇る「お好み焼き」を題材にした作品を読み解く。
田辺聖子とお好み焼きの世界
なべて大阪の作家は、美味を表現するのがうまい。なかでも逸品は、「おせいさん」こと田辺聖子さんが残した短編集『春情蛸の足』。作中、「ぼてぢゅう」は「ミナミの宗右衛門町の老舗のお好み焼き屋」と紹介されている。現在の道頓堀本店は、外国人観光客が行き交う道頓堀川沿いのビルに入る。基本の豚玉は、どこを切っても具にあたる楕円形。辛子マヨネーズを合わせるのが創業者が考案した自慢の味と聞くが、特別に、主人公の男が「あるべきお好み焼き」と定める「ソースだけ塗ったの」もお願いした。
作品の魅力
四角い鍋に、だしがなみなみと張られている。そのだしの色は澄んで、透明で、薄い。薄味というだけで、杉野は心そそられる。御飯のオカズなら別、杉野は日本酒が好きなので、酒の肴のおでんは、薄味で、甘くないのがよい。(「春情蛸の足」)
所収の8編はどれも中年男が主人公。表題作は、「関東煮」屋で幼なじみの男女が再会し焼けぼっくいに火がつく話。
その女は昼どきの店内の喧騒からうどんの鉢を守るように抱え、うどんのひとすじひとすじをいとおしむようにすする。やわらかな、まったりした奥ゆきふかい薄味のおつゆを、どんぶりを傾けて心ゆくまで飲み干す。タベモノを大切にする、うどんに愛執する、というその心持が浦井にはじつにめでたく思われ、その姿に目を洗われる気がした。(「慕情きつねうどん」)
昼は必ずうどんと決めている男が、お仲間とおぼしき女性と意気投合。その顛末やいかに。
お好み焼きの魔力
お好み焼きは多少の下品さがなくてはいけない。豚の脂がじんわり沁みわたったいかがわしさ。その濃厚を葱の味でまぎらわせ、紅生姜で刺激して、ミックスされたところにうさんくささがある。水で溶いて火を通した小麦粉は、人の舌を陶酔に誘う、いいがたい魔力を持っている。(「お好み焼き無情」)
家族や同僚と味覚が合わず肩身の狭い男が、間違えて降りた駅で“あらまほしい”理想のお好み焼き屋を見つける。
(あつつ、熱ぅ……)といとおしみつつ、口へ抛りこむ。ほんのりと脂、ソース、キャベツの甘みが舌へ残ったと思う間もなく、去年の雪のように、お好み焼きは消えている。または、女のうす情けのように、といってもいい。それぐらい軽く、ふんわり焼けている。(同)
熱々のお好み焼きをテコで小口に切って<わんぐりと食べる>とある。そうそう、うちの母もやってたと懐かしくなり、作品にも出てくる専門店「ぼてぢゅう」へ。鉄板からじかに口へ運ぶのは少し勇気がいるが、とろけそうな旨さと香ばしさが瞬時に広がった。皿に取って行儀良く食べるのとは、熱さもおいしさも次元も違う。
田辺聖子の文学世界
2019年に91歳で世を去った田辺さんは、文化勲章まで受けた大作家だが、庶民の「ただごと」を愛し抜いた。愛執、慕わしい、あらまほしい……柔らかな言葉に陶然となる。おんどりゃ何さらしけつかるねん、といった啖呵すら、田辺さんの筆にかかればゆかしい。のびやかなユーモア、誰もまねできない軽妙な詩情こそ、文学の至福の味わいではあるまいか。



