粉雪の朝に蘇る戦後開拓地の子供時代
私は小学2年生だった頃のことを、今でも鮮明に覚えている。ある冬の晴れた日曜日、仲良しの7、8人の友達と一緒に、汗を拭き拭きしながら原っぱで大きなかまくらを作った。中はほっこりと暖かく、私たちは童謡を合唱したり、しりとり遊びや謎かけ遊びをしてはしゃぎまわった。夕焼け空に感動しながら、「また明日」と約束し、お互いに指切りをして別れたのだ。
約束が粉雪に消えた翌朝
次の日は朝から粉雪が静かに降り始めていた。「おはよう!」という元気な声が、登校時間になると集合場所に集まってきた。しかし、昨日、指切りを交わした5年生の男の子だけが、なぜか姿を見せなかった。心配した6年生の班長が「迎えに行こう」と声を上げ、私たちは雪道を一列に並んで彼の家に向かった。
ところが、先頭を歩いていた班長が急に男泣きし始めたので、私たちはびっくりしてしまった。見れば、彼の家の戸口には太いつっかえ棒が掛けてある。その光景を見て、「一家で真夜中に家を出たのかも…」という考えが頭をよぎった。だが、私たちは信じたくなかった。
戦後開拓地で育った子供たちの絆
私たちは戦後、山形県に開拓農民として入植した両親に連れられてきた子供たちだった。同じ集落で育てられ、誰とでも仲良く遊んでいた。大人の難しい事情は理解できなかったが、その時の気持ちの激しい動揺は、今でもはっきりと記憶に刻まれている。
昔の話ではあるが、季節が来るたびに心は痛む。小屋に似た彼の家の前で、顔に降りかかる粉雪を払いながら、肩と肩を寄せ合って大泣きした日を、私は決して忘れられない。戸澤三二子(83)が愛知県春日井市から綴るこの回想は、戦後という時代を生きた子供たちの純粋な友情と、突然の別れの悲しみを静かに伝えている。



