いじめによる不登校から福岡の高校へ、奥田修史氏の変革の道
学校法人奥田学園理事長であり、創成館高校校長を務める奥田修史氏は、幼少期から病弱で内気な性格だった。幼稚園時代は風邪で度々休み、小学校では胃腸の薬を持ち歩く日々を送った。そのような背景から、中学時代にはいじめに遭い、二年生で不登校となった。
学園の理事長として堂々と構える父・一正氏と比べ、部屋でベッドのシーツをかぶっていた弱い自分を嫌悪し、「奥田家にふさわしくない。縁を切ってくれ」と母・順子氏(90歳)に繰り返し訴えた。母親は「あなたがいてくれるだけで、親は生きがいがあるのよ」と慰めたが、当時はその言葉も心に響かなかった。
地元長崎の高校受験失敗と福岡への進学
高校受験では、地元・長崎の第一志望校に不合格となり、親戚がいる福岡県内の高校に進学した。当時、その高校は「荒れた学校」として知られ、入試時に近くの駅前を金髪の生徒が歩く様子を見て、「この世界で生きていくのか」と衝撃を受けた。
新しい環境で生き抜くため、奥田氏はアイロンパーマを当てて「強いふり」をした。長崎出身であることから、あだ名は「ちゃんぽん」と呼ばれた。上下関係が厳しい寮生活の中で、先輩から突如呼び出され、「お前はみんなと仲がいい。寮をまとめてくれ」と三年時の寮長に推された。
寮長とハンドボール部主将の二役、弱い自分との決別
同時期にハンドボール部の新主将にも内定しており、両立できるか悩んだが、「逃げちゃだめだ」と弱い自分に決別する覚悟を決めた。後に、百人以上の寮生から満場一致で選ばれたのは寮の歴史で初めてと知らされ、大きな自信となった。
父・一正氏もこの成長を喜んでくれた。奥田氏は「生きてるのが嫌になるぐらい情けなかった自分が、少し変わったと思えた」と振り返る。この経験が、後の教育者としての道を支える礎となった。
幼なじみの石川雅朗氏(54歳)は、「昔はおとなしいイメージだった。家に遊びに行ったとき、なんとなく良い家の子なんだと思ったのを覚えている」と語り、奥田氏の変貌を印象的に語っている。



