三重・南海日日新聞が75年半の歴史に幕 地域の情報源失われ読者から惜しむ声
南海日日新聞が廃刊 75年半の歴史に幕 地域情報源失う (01.04.2026)

三重の地域日刊紙「南海日日新聞」が75年半の歴史に幕

三重県尾鷲市と紀北町を発行エリアとする日刊紙「南海日日新聞」が、3月31日付をもって発行を終了し、創刊から75年半に及ぶ長い歴史に幕を下ろしました。地域に根差した情報源として親しまれてきた新聞の廃刊に際し、多くの読者から惜しむ声が寄せられています。

昭和から令和まで駆け抜けた郷土紙の歩み

南海日日新聞は1950年10月に創刊されました。創刊号の社告には「南北郡を一丸とする最も身近な日刊郷土紙を発刊することは、その責任のいかに大きいかを痛感する」との決意が記されていました。以来、「最も身近な」郷土紙を掲げて昭和、平成、令和の三つの時代を駆け抜けてきたのです。

しかし今年2月8日付の紙面で廃刊が告知されました。発行部数は2000年ごろの6200部をピークに減少に転じ、急速な人口減の影響もあって2025年には半減しました。発行エリア内の事業所減少も響き、広告収入も激減。さらに配達員不足も加わり、廃刊を決断せざるを得なかったと伝えられています。

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読者から寄せられる惜別の声

廃刊を惜しむ声は地域のあちこちから聞こえてきます。尾鷲市で鮮魚店を営む70代の女性は「親が購読していて子どもの頃から同紙が身近にあった。地域の話題をつぶさに拾っていた。慶弔欄もよく見ていて、寂しい」と語ります。

同市栄町に住む80代の女性も「この年齢になると家の近くくらいしか歩かないから、山の桜とか自然の記事を見ると気持ちが和んだ」と振り返ります。紀北町相賀の80代女性は「こんな出来事があると、よく友達が新聞を見せてくれた。寂しいね」と心情を吐露しました。

紀北町長島の向井清隆さん(77)は「コラムを書いて載せてもらっていた。もう、発表の場がない」と残念がります。元小学校教諭で尾鷲小学校長も務めた世古博久さん(77)は「子どもたちや教員の頑張りを丁寧に記事にしてくれた。子どもも教員も励みになっていた」と感謝の言葉を述べています。

地域情報の重要な伝達手段としての役割

NPO法人・天満浦百人会の松井まつみ代表(85)は23日、市民の感謝の声を集めた文書を新聞社側に届けました。「自分たちのイベントや取り組みを紹介してくれて大助かりだった」とし、「とても詳細に地域の人へ情報を伝える新聞だった。特に高齢者は紙から情報を得ることが多い。情報源がなくなる人も出てくるのでは」と懸念を示しました。

75年半の歴史に幕を下ろす最終号は「第2万1847号」。2025年度の尾鷲市統計書を基に、トップ記事では「人口減と高齢化止まらず」と報じています。

最後の配達に込められた思い

3月30日の夕方、市役所周辺には配達員の三鬼厚子さん(63)の姿がありました。この仕事を始めて14年、雨の日も風の日も約160軒に新聞を配り続けてきました。「寂しくなるなあ」「今までありがとう」と、購読者から感謝や惜しむ声を受けながら、三鬼さんはミニバイクで最後の紙面を届けて回りました。

4代目社長の小池真人さん(79)は「収益が出ないとどうしようもなく、大変無念。読者には申し訳ない気持ちとともに長らくの応援に大変感謝している」と複雑な思いを語っています。地域に密着した情報源が一つ消えることで、紀北地域のコミュニケーションの形にも変化が訪れることでしょう。

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