89歳写真家、原発取材再開 福島で「悲しみ人ごとでない」と写真集目指す
89歳写真家、原発取材再開 福島で写真集目指す (13.03.2026)

89歳写真家、原発取材再開 福島で「悲しみ人ごとでない」と写真集目指す

東京電力福島第一原子力発電所の事故から15年が経過した今、国分寺市の写真家・樋口健二さん(89)が、病気を抱えながら四半世紀ぶりに本格的な原発の取材を再開し、写真集の出版を目指している。樋口さんは長年にわたり原子力や公害をテーマに撮影を続けてきたが、健康上の理由で一時中断していた。しかし、「90歳目前で思い残すことはない」との思いから、昨年7月から福島での取材を再開した。

被災者の苦悩と地域の現状

昨年10月、樋口さんは福島県浪江町津島地区で開催された「つしま肉まつり」を訪れた。このイベントは、いまだに避難を余儀なくされている住民たちが年に一度集まり、バーベキューを通じて旧交を温める貴重な機会だ。約500人が参加し、そのうち約7割が同地区の住民であった。津島地区は放射線量が高い状態が続いており、2023年3月に一部で避難指示が解除されたものの、地区全体のわずか1.6%に過ぎない。大部分は「帰還困難区域」として住むことができないままだ。

事故前、この地区には約530世帯、約1500人が暮らしていたが、現在は12世帯19人にまで減少している。樋口さんは「俺の家は百姓だったから、故郷や土地を失う悲しみは人ごとではない」と語り、熱心に会場を撮影した。住民たちは車座になって炭火で焼いた肉や野菜をほおぼりながら語り合い、本宮市に住む主婦の佐々木光恵さん(74)は「家は取り壊されていて帰れない。買い物でも病院でも津島では生活できない」と苦渋の選択を明かした。

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訴訟と住民の怒り

この地区の住民約650人が国と東京電力に対し、古里で暮らすための土地の原状回復と約155億円の損害賠償を求める訴訟は、今月9日に仙台高等裁判所で結審した。まつりに参加した原告団長の今野秀則さん(78)は、「国はせめて住宅地や農地を全面除染してほしい。原発事故の被害者の私たちは、国に切り捨てられてきた」と怒りをにじませていた。この訴訟は、被災者の権利と復興の遅れを象徴する事例として注目されている。

「希望の牧場」の挑戦

まつりに先立ち、樋口さんは原発から北西に14キロ離れた浪江町の「希望の牧場」を訪れた。運営する吉沢正巳さん(72)は、放射線の影響で出荷できなくなった約140頭の肉牛を寿命まで飼い続けている。震災時、吉沢さんは約330頭の牛を肥育していたが、国は原発から20キロ圏内の家畜の殺処分を指示した。しかし、「丹精込めて育てた牛を簡単に殺せない」との思いから、飼育を続けている。吉沢さんは「原発事故の教訓を風化させないためだ」と語り、その姿勢に樋口さんは深く感銘を受けた。

写真集への情熱

樋口さんは今年2月までに5回、原発付近を訪れ、空き家や建物、海岸沿いの震災遺構である浪江町立請戸小学校、事故前の自然豊かな津島地区の人々の暮らしを写真に収めてきた。3年後の完成を目指す写真集の仮タイトルは「15年後の福島浜通り―『死の風土』」とされている。「おそらく最後の写真集だから、住めなくなった場所を深く追求したい」と語る樋口さん。「震災前に建った立派な家や商店が空き家になり、たくさん残されたままだ。市民の平和な暮らしをつぶした光景を記録しておくため、まだまだ死ねません」と、その強い使命感を明かした。

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長野県出身の樋口さんは、1999年に茨城県東海村で起きた臨界事故を取材した数年後、再生不良性貧血を発症し、昨年はぼうこうがんを摘出するなど、健康面での課題を抱えている。主治医のアドバイスで原発取材を控えていたが、それでもなお撮影を続ける姿勢は、被災者への共感と社会へのメッセージとして大きな意味を持つ。この取材は、福島の復興と被災者の現状を世界に伝える貴重な記録となるだろう。