品川区で「城南空襲」を語り継ぐ催し 体験者の手記朗読や証言ビデオ上映
品川区で城南空襲語り継ぐ催し 体験者手記朗読

品川区で「城南空襲」を語り継ぐ催し 体験者の手記朗読や証言ビデオ上映

太平洋戦争末期の1945年5月24日、現在の東京都品川区など東京南部を襲った「城南空襲」の記憶を語り継ぐ催しが24日、区立品川歴史館(大井6)で開かれる。空襲で兄を失った横浜市金沢区の内山喜代子さん(88)がつづった戦争体験記の朗読などを通じて、81年前の地域の戦禍を伝える。

内山さんは戦争体験を作文用紙4枚に記した。材木商を営む家に6人きょうだいの末っ子として生まれ、音楽好きでさまざまな楽器を演奏する「明るく、にぎやかな家」だったという。戦争と空襲を初めて強く意識したのは、幼稚園の卒園式の日。姉との帰り道にサイレンが鳴り、メガホンを手にした大人に「空襲です!早く家に帰りなさい」と叫ばれた。

空襲が激しくなり、自宅は建物疎開で取り壊され、母親、姉と両親の故郷である秋田県に疎開した。父親と三男、四男の兄2人は秋田に避難する日に城南空襲に遭遇。逃げる途中、18歳だった三男の兄は父親をかばって焼夷弾の直撃を受け、「お父さん、僕は一度富士山に登りたかった…。あ、秋田のリンゴが食べたい…」と言い残して息を引き取った。

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内山さんは手記の最後に「あのようなことは二度と起こりませんように、平和で幸せな世の中になりますよう、心より祈る思いでございます」と記した。この戦争体験記は、内山さんが静岡県に住むめいのために書いたもの。めいは地元で広く知ってもらうべきだと考え、催しを主催する「城南空襲を語り継ぐ会」に送り、朗読で紹介されることになった。

催しでは、内山さんの手記朗読に加え、空襲体験者の証言ビデオの上映、城南空襲の体験を描いた絵画約30点、区内の戦争遺跡の写真展示も行われる。同会は今春、空襲当時の区名に由来する「品川・荏原空襲の碑」の建立を目指すプロジェクトを始動。催しではプロジェクトの提案も紹介し、地域の戦禍を伝える象徴的な碑の実現につなげる。

ウクライナ、パレスチナ、イランなど世界各地で戦火が続き、国内でも国会前などで反戦デモが広がる中、同会代表の西條明子さん(80)は「今も戦争は庶民のところにやってくる。自分たちが住む地域で81年前に起きた戦禍から、その現実を知ってほしい」と訴える。

開場は午前11時、内山さんの体験記朗読や映像上映などは午後1時半から。参加無料。問い合わせは西條さん(電03-5742-7563)へ。

城南空襲とは

1945年5月24日未明、米軍のB29爆撃機約520機が現在の品川、目黒、大田各区などに3600トン超の焼夷弾を投下。B29の機数、焼夷弾の投下量は3月10日の東京大空襲を上回り、甚大な被害をもたらした。

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