全国のハンセン病療養所では、結婚の条件として断種や堕胎が強制され、生まれることさえできない命がありました。国の責任を問う訴訟の原告だった父の証言で、自身が奇跡的に生まれたことを知った沖縄県内の女性(60歳代)は、生を受けられなかった命の分まで歴史を語り継ぐ決意を固めています。
奇跡の誕生と差別の現実
沖縄県内の療養所にある胎児たちの冥福を祈って建てられた供養塔前で4月下旬、女性は命の重みをかみしめるように語りました。「私も、そして私の娘たちも、生まれていなかったかもしれないんだ……」
父(92)と母(88)が、らい予防法(1996年廃止)に基づく強制隔離で療養所に入所していた1950年代に、長女として生まれました。幼少期は祖母らと暮らし、近所の子には石を投げられ、大人からも疎ましがられました。両親に会いに時々訪れる療養所だけが、のびのび過ごせる場所でした。入所者たちは、自分の子のように愛情を注いでくれました。
家族の絆と苦難の日々
「母ちゃん、父ちゃんに会いたい」。小学校低学年の時、夜中に家を抜け出し、約10キロの夜道を1人歩いて両親に会いに行きました。父は当時、病の原因となる菌の検査で陰性となっており、娘の姿に心を痛め、不自由な体を押して社会復帰すると決意。労務外出許可を得て、療養所外で親子3人の生活が始まりました。建設現場の作業員や新聞の集金員などに励み、一家を支えてくれた父。病気にまつわる苦労を話すことはありませんでした。
「どうしてきょうだいがいないの」と尋ねた時、父は黙ったままだったといいます。
訴訟と真実の発覚
父も参加した違憲国家賠償請求訴訟は、熊本と鹿児島の療養所の入所者が1998年に熊本地裁に提訴し、全国で追加提訴が相次ぎました。2001年5月の地裁判決は原告の訴えを全面的に認め、国に賠償を命じました。小泉首相(当時)は控訴を断念し、入所者らに謝罪しました。
「ようやく勝ち得た人間回復」を機に、父は自身の体験を精力的に語り始めました。被害実態を検証しようと始まった調査にも協力。女性は、2007年に完成した証言集につづられていた父の苦悩に触れ、初めて自身が生まれた経緯を知りました。
母の手術失敗と父の決断
妊娠がわかると療養所の職員は繰り返し堕胎手術を迫りました。母は耐えきれず反対していた父の不在中に手術に応じたものの、失敗。助かった命が自分でした。その後も何度も手術を迫られたが、父は決して手術を受けさせず、無事に出産。母はにっこりとほほえんでいたといい、父は「私たちにとって希望の子だった」とふり返ります。
同じ苦しみを母に味わわせないために、父が断種手術を受けたことも知りました。沖縄で一人っ子は珍しく、小学生の頃に「どうしてきょうだいがいないの」と尋ねた時、父が黙ったままだった記憶がよみがえりました。
療養所で子を育てられるのは1歳までで、幼少期の成長を間近に見られなかったのを悔やんでいたこと、後遺症を抱えながら懸命に働いていたこと。「父ちゃん、母ちゃん、ごめんね……」。両親がどんな思いで自分を守り、育ててくれていたのか知り、涙があふれました。
語り継ぐ決意と家族訴訟
ハンセン病の歴史を学び始め、かわいがってくれた入所者たちの堕胎の過去にも触れました。年齢を重ね、体験を語り継ぐ人がいないとぼやき始めた父に「私が継ぐから」と伝えました。
2016年には、家族も被害を受けたとして国に損害賠償と謝罪を求めた家族訴訟が始まりました。迷いもありましたが、「誕生さえ許されなかった命の代わりに語らないといけない」と原告に加わり、表に出られない多くの家族原告に代わって講演などでも訴えてきました。2019年の熊本地裁判決は家族の被害を認め、国に賠償を命じました。
講演には数年前から娘も付き添い、サポートしてくれています。今月17日には鹿児島県で開かれた会合で登壇し、「今も息を潜めている家族は多いが、誰かに話をきいてほしいという人はいる」と相談支援の充実を訴えました。
予防法廃止から30年、国への全面勝訴からも今月で25年が過ぎましたが、病歴を気軽に語れる環境にはなっていないと感じています。自身も名前を明かせず、匿名で活動しています。それでも、できる限り歴史を伝え続けるつもりです。
「生まれる前から差別された命があった。自分もそうだったかもしれない。ハンセン病の家族がいたと堂々と名乗れる社会を目指したい」
ハンセン病理由の不妊手術は少なくとも1551件
国の「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書によると、不妊手術は東京の全生病院(現・多磨全生園)で1915年に始まりました。その後、1948年に施行された旧優生保護法で、ハンセン病を含めた特定疾病への不妊手術や人工妊娠中絶が法的に認められました。
優生保護統計報告などによると、1949~1996年にハンセン病を理由とした不妊手術は少なくとも1551件、人工妊娠中絶手術は7696件行われました。中絶は法改正で当該条文が削除された1996年にも5件の実施が報告されています。



