パラアイスホッケーのレジェンド、28年ぶりの大舞台へ
2026年3月6日に開幕するミラノ・コルティナ冬季パラリンピックにおいて、パラアイスホッケー日本代表に、1998年長野大会を経験したチーム最年長のFW吉川守選手(56)=中部電力パワーグリッド、長野県阿智村=が2大会ぶりに出場することが決定しました。プレー時間は限られているものの、チームに欠かせない存在として「ウルトラマン」と称される信頼を集めています。
長野大会から続くパラリンピックへの想い
「ジャパン!」というアナウンスに武者震いしたのは、今から28年前の長野大会開会式でのことでした。吉川選手は、パラアスリートなら誰もが憧れるあの舞台に立ち、日本代表としてのスイッチが入った瞬間を鮮明に覚えています。その後、4度経験した開会式でも同じ心境になったといい、パラリンピックが特別な大会であることを改めて実感させられます。
18歳だった1988年、バイク事故により左手と左足首に障害を負った吉川選手。競技に出会ったのは6年後のことでした。1996年に日本が初参戦した世界選手権で、最初のゴールを決めたのも吉川選手であり、彼自身の歩みは日本パラアイスホッケーの歴史そのものと重なっています。
低迷期を経ての復帰と大けがとの闘い
銀メダルを獲得した2010年バンクーバー大会以降、チームは低迷の一途をたどりました。2014年ソチ大会、2022年北京大会の出場を逃し、出場した2018年平昌大会では全敗という苦い経験を味わっています。仲間のほとんどが去る中、吉川選手自身も2021年末に代表の一線から退き、若手の育成に注力していました。
しかし、ホッケーへの愛は変わらず、バンクーバー大会を率いた中北浩仁監督が2023年春に復帰した際、「分かっているよな」という言葉で日本代表への復帰を促されました。長年にわたる師弟関係から、断る選択肢はなかったといいます。
復帰から数カ月後、右の大胸筋断裂という大けがを負い、右手でスティックが握れない状態に陥りました。上半身のトレーニングもできない中、「スレッジ」と呼ばれる専用のそりに乗れるようになるまでに1年を要しました。公式戦に復帰したのは2025年秋のことです。
ウルトラマンと称されるいぶし銀の活躍
パラリンピックの出場権が懸かった世界選手権や世界最終予選では、エースのFW伊藤樹選手(20)の交代要員としてプレーしました。「カップヌードルの待ち時間だけだぞ」と冗談めかしながらリンクに出ると、全力でプレーする姿が印象的でした。
宮崎遼コーチは、吉川選手の活躍を「得点されないように守ってくれて、隙があればゴールを狙って。ウルトラマンのようだった」と表現しました。短い時間だけ変身し、怪獣を倒すヒーローになぞらえた賛辞です。わずか3分の出場時間であっても、自らが育てた鵜飼祥生選手(20)=岐阜県多治見市=ら若手とともに、世代交代が進むチームをしっかりと支えました。
進化を続ける技術と6度目の大舞台への意気込み
けがの影響で体力は落ちたものの、障害により握力が10キロもない左手のスティックさばきなど、上達している技術もあります。吉川選手は「出場時間は短いけど、進化した姿を見せたい」と語り、「これで最後」と口にした6度目の大舞台へ、胸を高鳴らせています。
強化合宿では、40歳年下でチーム最年少の河原優星選手と談笑する姿も見られ、経験豊富なベテランとして若手をリードする存在感を発揮しています。ミラノ・コルティナパラリンピックでは、限られた時間の中で最大限の貢献を果たす吉川選手の「ウルトラマン」のような活躍に、多くの注目が集まることでしょう。



