「若い人には、まず自分の身を守って欲しい。そして、この国を変えて欲しい」――2026年4月17日、東京都中央区で撮影された写真の中で、高橋幸美さんはそう語った。彼女は、2015年に広告大手・電通に入社したその年のクリスマスに自殺した高橋まつりさんの母である。以来、「まつりさんの母」として講演や取材に応じ、体験を語り続けてきた。
活動の原動力は絶望
なぜ活動を続けるのか。その原動力は、がんばってもがんばっても、働いても働いても幸せになれないこの国への絶望にあるという。今も泣きながら原稿を書く日々が続く。
10年経っても消えない苦しみ
まつりさんが亡くなってから10年。幸美さんは講演などで体験を語り続けてきたが、「しんどいんです。つらいことばかりを思い出しながら原稿を書かなければなりません」と打ち明ける。子どもの頃や大学時代の思い出には楽しいこともあったが、就職後は「残業に際限がなくて怖い」「1週間で10時間しか寝てない」「いじられキャラが定着してつらい」と、まつりさんが徐々に苦しんでいく様子がよみがえる。「今も泣きながら書いています。眠っていてもずっとあの頃のことが頭の中をぐるぐると回り続けて、胸がドキドキして息が苦しいです」
後悔と信頼の狭間で
当時、幸美さんはまつりさんから話を聞いていたにもかかわらず、何もできなかった。その事実を思い知らされるのが一番しんどいと語る。「あの頃に戻ってまつりを助けたい」と願う一方で、「辞めたい」「死にたい」「つらい」と言うまつりさんに対し、「辞めていいんだよ」と何度も伝えていた。しかし、亡くなる2カ月前にディズニーシーに連れて行ってくれた時、「お母さんは口出ししないでね」「私たちみたいなキャリアの子の転職とか分からないでしょ」ときつく言われてしまった。心配だったが、まつりさんは自分で考えている、自分で乗り越えてくれると信じていたという。
「自分には勉強しかない」という思い
幸美さんは、まつりさんを「すごいがんばり屋さん」と表現する。決してスイスイと目標を達成できるタイプではなかったが、努力を惜しまなかった。しかし、その努力が過労死という悲劇を生んだ。今の日本社会では、働けど働けど報われない人が多い。幸美さんは、そんな社会を変えたいと訴える。
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