小原ブラスが語る「偏見と差別」:人を傷つけない言葉選びの幻想に疑問
小原ブラス、偏見と差別の議論で「傷つけない言葉選び」に疑問

小原ブラス、偏見と差別の議論で「傷つけない言葉選び」の幻想に疑問を投げかける

先日、取材でこんな質問を受けた。「メディアで発言をする際、人を傷つけないために気をつけていることは何ですか?」と。私はメディアで結構な偏見のあるコメントをすることが多いのに、あまり炎上しないから、何かコツを聞こうと意図したのだろう。聞かれるたびに少し考えてみるが、これといって思いつかず、「特に気をつけていることはない。放送禁止用語を言わないくらい」と受け流し、質問者の期待を裏切ってしまう。

マイクロアグレッションへの共感不足と悪意の境界線

そもそも、人を傷つけないように気をつけて発言をするのは、そんなにベターなことなのだろうか。意図的に誰かを傷つけようと悪意を持って発言するのならまだしも、自分の無知や想像力の至らなさによって、結果的に誰かを傷つけてしまうことってそんなにダメなのだろうか。いわゆる「マイクロアグレッション(見えない攻撃)」というものだが、私はこれに共感できない。

よく「悪意がないのが一番厄介!」と言う人もいるが、「そうかな?」と思ってしまう。私はこれまで生きてきて、いろんな偏見や的外れな言葉を投げられてきた。例えば、SNSで「自転車の青切符制度はさすがに厳しすぎる」と投稿したら、「制度が導入された背景も考えず、自分の都合でしか考えられない。これだからロシア人は」という批判を受けた。

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子どもの頃にロシア人の母が日本人と再婚して日本に住むようになった経緯を話せば、「たぶん、ブラスの母親はロシアンパブで働いてお客さんと結婚したんだろう。どーせそんなところだ」といったうわさを流されたこともある。こうした言葉は、もはや無知で投げてしまったのではなく、「傷つけてやろう」という明確な悪意があるものだろう。

だが、そんな悪意のある言葉でも、私は傷つけられたことはない。だって、それらの言葉を投げてきた人よりも、自分の方が人間的に上だと思っているからだ。勝手に。ましてや、「外国人なのにお箸の使い方上手ですね」といった悪意なきマイクロアグレッションに傷つくといったエピソードには、まったく共感できない。

「許される偏見」と「許されない偏見」の不合理な区別

最近は「気にならないのはあなたが強いからで、誰しもがあなたのように強いわけではないのだから」ということで「配慮をするべきだ」とする意見が主流のようだけど、そんなことは果たして可能なのだろうか。例えば、「専業主婦なんて楽だと思う」と言えば、「あなたが知らないだけだ!」という批判が大量に来るだろう。

「身長が低い人の方が大抵性格悪いよね」と言っても、大量に批判が来るはずだ。「オレ、女にはモテないけど男にはモテるんだよね。ゲイ怖い!」みたいな、一昔前には平気で交わされた言葉も、最近では批判の対象になるのではないだろうか。

その一方で、ロシア人(に限らず他の特定の国の人)に対する偏見を垂れ流している人が炎上している様子を私はあまり見たことがない。「外国人は貸した部屋を汚すからお断りしている!」といった乱暴なカテゴライズをする人が、こっぴどくたたかれることもそれほど多くない印象だ。

むしろ、そんな経験に基づく偏見に対しては、「それは区別だ」と支持する人の方が多いようにも見える。つまり、しょせんは誰かを傷つける言葉とて、その中でも多数派かどうか、声を上げる人が多いかどうかによって、「許される偏見」と「許されない偏見」の不合理な区別が行われているにすぎないのだ。

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言葉選びの選別にあぶれた別の誰かを傷つける現実

現在主流の多数派に叩かれない言葉選びをしたごときで、「人を傷つけない言葉選び」なんて鼻で笑わせるわと思ってしまう。その言葉選びの選別にあぶれてしまった、“守られるべき少数派に仲間入りできない少数派”は、さらに追い込まれているはずだ。

誰かを傷つける可能性のある言説に蓋をすることは、別の誰かを傷つけるのではないだろうか。昨今話題になったトランスジェンダーのトイレ利用問題なんてまさにそれだろう。「トランス女性に女子トイレを利用してほしくない」と言えば、トランス女性を傷つけ追い込む。

一方でトランス女性に寄り添った言説を唱えれば、トランス女性が女子トイレに入ってくるのを好ましく思わない女性を失望させるのだろう。あたかも全方位に配慮を尽くす善良無垢な顔をして、果たしてどちらの人間を切り捨て傷つけるべきなのだろうか。あるいは、そもそも「誰も傷つけない」などという幻想から脱却したほうがいいのか。

私はよく「男が脱毛してんの本当に嫌だ!すね毛も生えてないような男は男じゃないわ」なんて極端なことをあえて言うけど、そうすると「生まれつき体毛が薄い男性の気持ちを考えろ!」と決まって反発がある。「知らんがな!」というのが本音だ。

私の偏見で傷つく人間がいるのであれば、それは私の問題ではなく、受け取り側の問題だと思っている。私の言葉に傷つく人もいるかもしれないが、剛毛に悩む誰かは救われているんだ。たとえ、思い悩んで命を絶つ選択をしてしまう人がいたとしても、私にはそれが言葉を発した側の責任とは思えない。

法律や制度による差別は別だが、個人から投げられた偏見や嫌な言葉なんて、乗り越えるべき人生の小さな壁の一つにすぎないと思う。壁をできるだけなくす努力が必要だと言う人もいるだろうが、その程度の壁もない人生のほうが退屈で窮屈だ。

私は私の偏見で生きるから、あなたはあなたの偏見で生きて。私や誰かの偏見に、傷つきたいなら勝手に傷つけばいいけど、傷つく選択をしたのはあなただからね。いくらなんでも世の中、清廉潔白すぎる。うるさいよ。──ちなみにこれも、私のただの偏見だ。