DMAT統括チームの15年 筑波大病院・小笹看護師長が語る災害医療の本質
筑波大学附属病院の看護師長である小笹雄司さん(57歳)は、東日本大震災において災害派遣医療チーム「DMAT」の一員として北茨城市で活動した経験を持つ。幼少期から人を助ける仕事に憧れ、看護師の道を志した小笹さんだが、現在では「自分が何をしたいかではなく、チームが何を完遂するかの方が重要」と語る。新型コロナウイルスの流行や能登半島地震など、数多くの現場を経験した今、彼は真剣な眼差しで災害医療の本質を語った。
東日本大震災での初めての大規模災害対応
15年前のあの日、食事中に襲った激しい揺れに、小笹さんは即座に病院へと向かった。日頃から車にヘルメットを積み、いつでも現場に駆けつけられるように準備していたという。3月12日未明、医師らと3人でチームを組み、北茨城市役所の避難所へと向かった。彼の任務は市内にいるDMATの統括役であり、海に近い救助現場への隊派遣や、後続のチームを東北地方へ向かわせる調整を行った。
さらに、近隣の病院に対して患者受け入れ可能人数の確認も実施。「なんとか頑張るから」という各病院からの返答に、その都度胸をなで下ろしたという。直接的な救助活動には参加しなかったものの、丸一日不眠不休で奔走。翌13日には土浦市内の病院へ患者を搬送する車を先導し、その後撤収となった。
災害医療の本質に気づいた転機
小笹さんは、幼い頃に英国の特撮人形劇「サンダーバード」を見て、人を助ける仕事に興味を持った。1998年に筑波大学附属病院で看護師としてキャリアをスタートさせ、2010年にDMATに登録。東日本大震災は、彼が初めて経験した大規模災害であった。
当初、任された任務は現場で大勢の人を直接助けるものではなく、幼少期からの憧れとは異なるものだった。しかし、災害を前にして一人では何もできない現実を痛感。統括する立場として、情報共有をより円滑にできたのではないかという反省もあった。
「重要なのは、各隊が託された任務を全うすることです」と小笹さんは強調する。災害医療の本質に気づき、ようやくその入り口に立ったと感じた瞬間だった。
15年間で経験した多様な現場
その後、新型コロナウイルスの集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の陽性患者搬送や、能登半島地震における傷病者の搬送先調整など、15年間で数多くの現場を経験してきた。
津波、竜巻、感染症など状況は様々だが、出発前に情報を収集し、自身が取り組む任務を想定しておくことの重要性は共通していた。「現場を想像することは、ある意味で現場にいるよりも恐ろしい」と小笹さんは語る。想定外の事態に直面する可能性もあるからだ。
しかし、どんなに恐ろしくても、被災者を救うために、小笹さんはいつでも現場に向かう覚悟がある。DMATとしての活動は、単なる任務ではなく、使命感に支えられた継続的な挑戦なのである。
DMATとは
DMATは、Disaster Medical Assistance Teamの略称であり、専門的な訓練を受けた医師や看護師らで構成される医療チームである。大規模な災害や事故の現場に急行し、発生から48時間以内に活動できる機動性を備えている。厚生労働省が2005年に発足させ、2025年3月末時点で約1万8000人が登録されている。



