認知機能低下者の金融資産260兆円 保護と利用の両立が深刻な課題に
認知症や軽度認知障害(MCI)の人が所有する金融資産は、日本の個人金融資産の1割を超える約260兆円に達すると推計されています。この膨大な資産をいかに保護しつつ、本人の意思を尊重して活用するかが、大きな社会的課題となっています。
金融機関のジレンマ:保護か利用か
慶応義塾大学ファイナンシャル・ジェロントロジー研究センター長の駒村康平教授は、金融機関が直面する難しい状況を指摘します。「認知機能が低下した顧客の資産を守る責任から、取引を凍結するケースが多い」と説明。本人が振り込みを請求しても、その振込先を正しく認識できているか判断が難しいため、保護を優先せざるを得ない現実があります。
しかし、過度な保護は別の問題を生み出します。駒村教授は「『守り』を強化して一切動かせない状態は、自分のお金を使えないことを意味する」と指摘。保護と利用は矛盾する面があり、金融機関は責任追及を恐れて保護に傾きがちだといいます。
成年後見制度の限界と認知症基本法の理念
現状では、あらかじめ代理人を指定するか、成年後見制度を利用しなければ、本人や家族でも資産を動かせなくなる場合があります。しかし成年後見制度は「終身」であることなど使い勝手の悪さが指摘され、利用は低調です。
2024年に施行された認知症基本法は、本人意思の尊重を掲げ、金融機関に対しても必要かつ合理的な配慮を求めています。駒村教授は「本人の意思を大事にして、それがかなうように社会が対応することが求められている」と強調しますが、現実には本人が望んでも資産が使えないケースが少なくありません。
経済全体への影響と資産凍結のリスク
この問題は個人の不便にとどまりません。約260兆円という膨大な資産が凍結状態に置かれることは、経済全体に深刻な影響を与える可能性があります。特に長寿化が進み、4割程度の人が90代まで生きる社会では、資産が途中で枯渇する心配もあり、多くの人が資産を少しでも増やしたいと考えています。
しかし、物価上昇に対して公的年金の支給額が十分に増えず、医療・介護負担も増加する中、政府が推奨するiDeCo(個人型確定拠出年金)やNISA(少額投資非課税制度)による自己準備も、認知機能の低下によって難しくなります。
詐欺被害のリスクと自己認識のギャップ
一方で、制限を緩めすぎれば詐欺や金銭搾取の被害リスクが高まるという難しい側面もあります。駒村教授は「認知症などの疑いがあると指摘された人のうち、実際に精密検査を受けた人は7%にとどまる」と指摘。大半の人は自分の認知機能低下を正しく認識せずに過ごしており、むしろ認知機能が低下するにつれ、主観的には低下を認めなくなる傾向があるといいます。
この自己認識のギャップが、適切な保護と利用のバランスをさらに難しくしています。「自分は認知症ではない、大丈夫だ」と思い込む人が多い中で、どのように本人の意思を尊重しつつ、資産を保護する仕組みを作るかが問われています。
年齢による一律制限の問題点
現在、多くの金融機関では70歳や75歳などの年齢で一律に金融商品取引に制限をかけています。しかし駒村教授は、このような一律の制限が「認知機能にさほど問題がない人の資産まで活用されにくくする」と問題視。年齢だけで判断するのではなく、個人の認知機能の状態に応じた柔軟な対応が必要だと訴えます。
認知症と軽度認知障害の人は高齢者の約3割を占め、その保有する家計資産は計260兆円ともいわれます。多発する詐欺や消費者トラブルへの対策は不可欠ですが、保護を強めすぎれば本人の利用を過度に制限することにもなります。保護と利用を両立する新たな道筋が、緊急に求められているのです。



