立憲民主党熊本県連が敗戦を振り返り「立民で立候補しても自信なし」と語る
衆議院選挙の開票から一夜明けた9日、熊本市で記者会見した立憲民主党熊本県連の西聖一代表代行は、力なく語りました。「立憲民主党で立候補していたら勝てたか、というと自信もない」という言葉が、県連の苦い敗戦の現実を物語っています。
予期せぬ展開が戦略を狂わせた
立民熊本県連は当初、熊本1区で挑む鎌田聡氏(61)の戦いに注力し、残る3選挙区については他の野党の動向を見極める予定でした。しかし、二つの予期せぬ出来事が立て続けに発生し、陣営の戦略は大きく狂い始めます。
一つは1月23日解散という超短期決戦です。もう一つは解散前に浮上し、同22日の結党大会で正式に発足した立憲民主党と公明党による新党「中道改革連合」でした。この新党発足は、県内の政治地図に大きな影響を与えることになります。
従来の野党協力体制が揺らぐ
県内の衆院選では長年にわたり、立憲民主党、共産党、社民党が選挙区の候補者をすみ分けて協力し合う形をとってきました。しかし、公明県本部は「野党統一候補は支援できない」との姿勢を鮮明にしました。
公明党と政策的に対立していた共産党県委員会はこれに強く反発します。内部では無所属での立候補を求める声のほか、一時は別の候補者を擁立するという強硬論も出るほどだったといいます。関係者は「それだけショックなことだった」と打ち明けています。
敗戦後の陣営の様子
敗戦が決まった後、鎌田氏は城下代表(右から2人目)ら支援者を前に頭を下げました。この光景は、選挙戦の厳しさと陣営の無念さを象徴するものでした。
西代表代行の言葉は、単なる敗戦の弁を超えて、超短期決戦という異常な選挙環境と、新党発足による政治勢力の再編という複合的な要因が、従来の戦略を機能不全に陥らせたことを示唆しています。立憲民主党熊本県連にとって、今後の選挙戦略の再構築が急務となるでしょう。



